アダマス・セント・ジャーメイン

アダマス・セント・ジャーメインの「Momoirs of a Master」を読み始めました。
これは、悟りに達したマスターのショートストーリー集です。
マスターが地上でどんな風に暮らすのかもわかりますし、悟りの途上にいる人間たちのよくある悩みや、道を迂回するパターンもわかります。

読んでいて思ったのが、人間はマスターのいうことをきかない、ということですね。
マスターが生徒にアドバイスをするシーンが出てくるのですが、
生徒は深く受け止めても結局実行しなかったり、怒りや落胆で反応してしまったり。
これは本当によくあることだと思います。

人間は、自分のやっていることが正しいと思いがちですけど、
実際は間違ってばかりです。
どんな道も、結局は先に伸びていきますが、人間は選択を誤ってばかりで、
ひたすらに迂回ばかりすることになります。

強烈なエゴですね。
耳を傾けて、話を聞き、真摯に学んでいるときも、結局は自分のエゴの範疇にしかおらず、
本当に大事なこととなるとエゴは台無しにします。エゴは迂回させるのが得意なのです。

この本が届く日に、そんなことを体験しました。
とある生徒に対して、前々から気になっていることがあり、ちょうどその種の問題が起きたので、
「君はいつも決断を間違っている」「衝動的である」と指摘しました。いつも自分の範疇でしか物事を受け取らないので、それではその生徒の目指す夢である声優の仕事に障害となると思えました。
しかし、その子は反発して、「自分はよく考えていて決断は正しい。衝動的ではない」と。そして、怒って、別の所で学びますといいます。もうこの時点で衝動的に決断しているんですけどね。

経験を積めば、視野も広くなり、その分野に関して間違った選択は減っていきます。だから、人は、上司や師匠に相談するわけです。10人が10人間違った決断をしてしまうなら、人の話を謙虚に聞いて、間違いを回避したほうが、絶対に得です。みんなが回り道をするなか、まっすぐに正解の道を選べるのですから。

本の中で、マスターはそうした生徒に対して、どうしているでしょうか?
放ったらかしですね。「仕方がない」という態度です。
アドバイスはしますが、チャンスは1回です。
もうこれ以上、マスターが追いかけてでも説得してくれたりはしません。間違っていようが、迂回になろうが、それがその人の決断なら仕方がないということです。

非常に勿体ないですけどね。むしろ、マスターでない人間のほうが、いろいろと同情して声かけて、よくしてくれるでしょう。でもマスターは、それは愛ではないと思っていて、放っておくことが愛だと思っているのです。

人は本当に話を聞きません。自分から熱心に話を聞いている人も、自分のために聞いているのであり、自分が納得しなければ受け入れません。
たくさんのヒントがあっても、自分が選り好みをすることによって排除します。

マスターとしては、誤った道を進み続ける生徒たちを見るのは辛いことではないでしょうか?
忍耐を持って受け入れていますが、ぼくも今回胸を痛めました。でも仕方がないです。
マスターは人を導く仕事をしますけど、ほとんどの人が、エゴに憑かれているわけですから、ちょっと大変ですよね……。皆さんも知っての通り、真実はわたしたちの社会常識とは逆のことばかりです。社会常識に浸りきったエゴは抵抗するでしょう。
だから、教えることをせずに、ただのんびりと暮らすマスターが多いのも頷けます。