悟りには段階がありますが、囚われている人間ならではの「個」がなくなれば、大きな進歩です
執着もなく、思考からの引き寄せは抑えられ、内なる真の自己からの全方位引き寄せとなります。
その感覚の違いがぼくにもわかってきました。

最近、観察していて思うのが、みんな自分という個に一体化してしがみついているということです。
集客の専門家はそのことばかり。スピの人はそのことばかり。
健康・ダイエットの人はそのことばかり。
とにかく、自分の領域、自分はこういう人間です、というのが決まっていて、
SNSでもその話しかしません。
自分というアイデンティティーをなんとか高めて、守ろうとし、
自己肯定感を上げようとしたり、収入を増やそうとしたり、問題を解決しようとしています。

本人にとっては命と同じくらい大事なことなのですが、
他人から見れば実はどうでもいいことです。

最近大規模な投資詐欺事件が起こり、被害者の会のオープンチャットを見ていたのですが、
額にもよりますが、とてつもなく深刻です。
一方では、茶化す人や批判する人、「詐欺られるほうが悪い」などといってくる外部の人間もいます。
本人にとってはすごく重要でも、他人にとっては本当にどうでもいい、一人ひとりがしがみついている人生とはそんなものです。

内なる自己は、そうした人間的なドラマやしがみついている「個」をたいして大事に思っていません。
自由に創造してもらいたいという意味では、どんなことでも応援しますが、
どちらかというと、そうしたものに囚われるのはもうやめて、本当の意味で自由になってほしいと思っています。

わたしたちは、前世から何度も何度も継続して囚われているものがあります。
それは、お金だったり健康だったりするので、今マスターの道を歩んでいる人は
大抵こうした問題が何度も浮上して、現実を突きつけてきているでしょう。

この生涯だけでなく、何生涯にもわたって保持している囚われから抜け出す
本気の決断をした人たちは、他の人間たちとは違う、マスターの道を歩むことになります。

囚われなくなると、人生に関心がなくなり、とても退屈になるのではないかと思いますよね。
ぼくもそう思ったりしてたんですが、なんといえばいいのか……

例えば、あなたはイチゴが好きで、イチゴを食べることに人生の喜びを感じてきました。
イチゴを食べられないことも多く、常にイチゴ不足を感じながらも、イチゴを味わう人生に生涯を捧げていました。
しかし、悟りに達したことで、あなたはイチゴに対する熱い思いをなくしてしまいました。イチゴはかつてのような、ドキドキハラハラをくれないし、やっと手に入れた喜びも味わえません。しかし、イチゴ以外のものが食べられるようになりました。マンゴーやリンゴ、ハンバーグやカレー、中華にフレンチ、様々なものが自由に食べられるようになったのです。イチゴのように熱い思いを感じるものはありませんが、なにもかもがおいしいし、食べるための努力や苦しみはなくなりました。気づけばイチゴも以前より好きなだけ食べることが出来ます。

こういった感じの変化になります。
だから、人生に退屈するどころか、また新たな喜びを得られるようになります。喜びの感じ方は、変わります。エゴが「やっと手に入れた!」「ああ~これこそほしかったものだ」と感じていた、ドラマティックな刺激的な喜びはなくなりますが、感謝と安心のもと、しみじみとした喜びや幸せをいつでも感じられるようになります。また、魂から湧き上がる喜びや幸せも付加されます。

そんな境地にいくためには、個の囚われをなくしていかなくてはいけません。
自分の力で全方位引き寄せができると思わないで下さい。
自己の力では無理です。真の自己が本領発揮してくれない限り無理です。
いくら頭で理解しても、頭でその境地にもっていくことはできません。
頭も身体も、囚われを放棄して、真の自己に預けていかなくてはいけません。

何度も何度も現実化して目の前に突きつけてきた、様々な問題が消えてなくなったとき、
あなたの救済は完了します。