ノートがないのでブログにメモ書き

 

わたし(※内なる自己)は、生命であり、今思考を作ったり(だから、わたしとあなたは一体だ)、細胞が生きて身体を生かしているエネルギーだ。だから言葉を話さない。沈黙している。しかし、魂の巨大な智慧、情報のバックグラウンドがあり、あなたのことはすべて知っている。今、あなたは、言葉でない智慧、言葉でないメッセージを言語にして受け取っている。

わたし(※内なる神)と今見ている世界(※外なる神)に違いはない。同じだ。ありのままの愛と豊かさを反映した生命の現実化のなかに人間たちが創造した世界が現実化されている。あなたも、ありのままの愛と豊かさを反映した生命のあなた自身のなかに、あなたが創造したあなた自身が現実化されている。それをあなたは空と海の比喩を使った。(※空が外なる神、海が内なる神)しかし、いってしまえば空も海も同じなのだ。

なぜ、人間であるエゴ、人間であるあなた自身の創造をなくすと、愛や豊かさが現れるのか。それはそもそもあるからで、人間の創造によって上塗りされなければ、本来わたしそのものである永遠の生命、永遠に与えるもの、愛、豊かさが現れる。外なる世界であれば、人間たちが消えたら、調和の取れた自然が残されるだろう。そのようにあなた自身の創造による上塗りがなければ、神が遍在することになる。

わたしたち、内なる神たちは、人間たちの創造を楽しんで観察している。人間の創造がなければ、これほど新しいものは生まれなかった。あなたたちの創造を支援し続ける。それが二元性の貧しさや戦争であっても。

あなたが人間の創造をやめると、今や区別がわかるだろう、本来のありのままの愛と豊かさが現実化されるが、あなた自身の情報に即した上で、人間たちの世界に照らし合わせて、見事に現実化される。古くて無味乾燥な創造を押しつけるわけでない。あなたにとって最高のものが人生となる。

わたしはいつもあなたの集中した思考の中に混ざって、メッセージを与えていた。今、このように対話しているのは、あなたが対話形式で受け取っているからだ。このように分離に見える形で対話するのはあなたも好まない。分離した言葉を求めるようになるのは望まない。沈黙のなかで、常に一緒である。わたしもあなたもない。いうなれば、わたしのなかの私だ。わたしは生命を動かしている。外なる世界の生命と調和して創造を手助けしている。あなたは二つの思考を持たない。この対話は、あなたが受け取った智慧をあなたなりに対話形式にしただけだ。

 

私は同意し、対話を終えた。