ずっと延々と、受け入れること、受容すること
エイブラハムやアセンデッドマスターたちはいっていますが、
これほど成功していないメッセージもないのではないかと思うくらい、
ほとんどの人がなにも実感できていません。
やれどもやれどもなんの成果も得られていません。
あるときは、妥協のように受け入れを納得し、
あるときは、戒めのようにありがたみを感じなきゃと思い、
本当にできているのかわからないまま、
言葉や取り組みだけが繰り返されます。

受け入れると幸せになれる。
願望が実現する。
という思いから、きっと受け入れられていれば、
なんでもうまくいって、なんでも手に入れられると思っているのではないでしょうか。

大金持ちになっている人、有力な地位を得ている人、
名声を手に入れている人、平和な家庭を築いている人、
仕事を通してたくさん社会貢献している人、
政治家や社長としてリーダーシップを発揮している人
こうした人は、では受け入れられているのでしょうか?
ほとんどがスピリチュアルの智慧など知らない人たちです。

思うに、関係ないです。
だから、受け入れができている尺度をそうしたもので測るとよくわからなくなります。

金持ちになればなるほど、有名になればなるほど、
安定や平和を手にするほどに人間マインドのヴェールが剥がれて
受け入れができるわけではありません。

逆に言えば、今、苦境のどん底にいる人、
なにもかも失ってしまった人、何者にもなれていない人が
受け入れから遠ざかっているわけでもありません。

距離などありません。
隔てたヴェールがあるだけです。
「神との対話」で、「一息ほどしか離れていない」とかいう表現があったと思います。

不思議なものです。
成功してリッチになっている人も、貧乏で挫折している人も、
一枚のヴェールを隔てた状態は変わらないということです。
とすると、なにもうまくいかずどん底にいる人であっても、
長い道のりを歩いて、悟りに近づく必要はなく(心理的には長い道のりを歩いていますが)
今すぐにヴェールの向こう側に触れられる可能性があるのです。

ただ、同じヴェールの隔たりであっても、
ヴェールのこちら側で、反対側など知らずに生き続けるのと、
ヴェールの反対側を凝視し、その先に行きたいと願うのとでは
大きな違いがあります。

もし、あなたが物質的な豊かさや成功が、悟りの証だと信じていたなら、
ビジネスで成功したり、大好きな人と結婚したりしたとき、
「あぁ、これが悟りだ、これが受け入れることだ」
と勘違いしたかもしれません。

むしろ、人間的なものを放棄し、降伏することで、
ヴェールの向こうが見えてきます。
成功であっても挫折であっても、裕福であっても貧乏であっても、
人間マインドが認識する人間的なものに埋没していれば、
ヴェールによって隔たれたままです。
同じ人間的な幻想に過ぎません。

さて、豊かさも成功も幸せも関係ないなら、
なぜゆえに全てを犠牲にしてまで、前人未踏とすら思えることを
目指し続けているのでしょうか?

やっぱりヴェールの先にも、豊かさや成功や幸せがあるからです。
違うなにかがあるからです。
人間的なものとなにが違うのでしょうか?
いろいろな価値観の違いがありますが、説明すると長くなります。
それは同じであり、同じではありません。

ヴェールが開かなければ、人間マインド特有の思考による引き寄せや、
物理的な挑戦や努力で、様々な人生を生み出します。
ヴェールが開くと、人間マインドに依存しない創造になり、
物理的な努力や苦しみなく、愛と豊かさに溢れた人生を生み出します。

人間が地球で生きている以上、
ヴェールが開こうが開くまいが、地球での体験をしていきます。
しかし、豊かさが、より楽に流れ込むようになったり、
幸せが、理由もなく感じられたり、
他人の諍いに巻き込まれなくなったり、
より自然体になっていくでしょう。