Allowing(受け入れる)とSovereignty(主権)

全てのことを受け入れますが、奴隷のように服従して受け入れているわけではありません。自分の保持していた古い人間の部分を抱きしめて、手放したなら、以後はもう拒絶することも大事です。
受け入れるからといって、目の前で暴行や不正が行われていたら、黙ってはいないでしょう。あなたの領域に入ってこない世の中の暴行や不正や悲劇は、放っておけばいいのですが、あなたの体験の領域に入ってきたなら、あなたはマスターとして対処すべきです。それは黙認することや、困っている人に手を差し伸べないということではないのです。あなたの主権に基づいて、愛と正義を発揮すべきです。

人や社会に対してだけでなく、あなたは外界のあらゆる現実化されたものと関係性をもっています。その関係性のなかで、あなた自身を表現しています。あなたは自分の惨めさや無力さ、他人の横暴さや欺瞞に寛容である必要はありません。

受け入れるといっているのは、神の贈り物であり、それらを価値判断せずに受け取りなさいといっています。
わたしたちのマインドは、入ってくるものに対して、検査し、価値判断し、レッテルを貼り、選別しますが、それらをやめてあるがままに受け取るということをいっています。

難しいのは、そのときに、目の前にネガティブなことが起こると、主権に基づいた態度(古いものを拒絶するなど)も価値判断になるのでは?という疑問です。基本的には、ネガティブなことはなにもないという認識でその現象を見ながら、あなたの本質である愛で物事を見ます。

神の贈り物は自分の理解を超えているという一種降伏したマインドのなかで、あなたの偉大さと愛で、物事を体験します。罪悪感や無力感、不足感、恐れから判断してはいけません。

自分で人生をコントロールしようとするとき、神の贈り物に対して手を加えることになります。神の贈り物は変質するか、逃げていくことになります。

 

喜びと幸せを帰属させる

わたしたちはあまりに長い間、喜びや幸せや安心から遠ざかっていました。ですので、それらをもたらす願望に対して疎遠です。なにか異質のもの、違和感のあるもの、遠いものとして認識してしまっています。

神の贈り物でさえも、あなたのオーラフィールドといえる領域に入ると、変質してしまいます。もし、あなたの領域で、喜びや幸せを受け付けないなら、そうした神の贈り物も弾かれてしまうでしょう。まだ体験していなくても、喜びや幸せ、願望は自分のものだと信じるべきです。

矮小な自分のイメージ、願望なんて叶わないという自信のなさ、世の中への恨み辛み、そうしたマインドが、どれだけ願望実現を阻んでいるでしょうか!

愛・奇跡・豊かさ・喜び・幸福・健康・自信・勇気
これらは真の自分のエッセンスであり、自分そのものを現している言葉です。よそよそしい顔をしないでください。これらは元々あなたのものです。あなたに帰属させるべきものです。

どんなときも、喜びを選びましょう。
どんなときも、自分の領域においてもたらすものは幸せだと認識しましょう。
どんなときも、自分の核は愛だと忘れずにいましょう。