わたしたちは、マインドとボディとスピリット(ハート)で構成されていて、
それらを包む大いなる光である真の自己があり、神という光の粒子のなかで生きています。
この辺の説明は本当にわかりにくいと思いますが、
人間の部分がマインドとボディです。
ボディは、意思を持たずニュートラルなので、実質マインドが人間の部分であり、自分だと思っているパートです。

人間のマインドを狂気から正気に変えていくのが「奇跡のコース」の目的です。
正気になっていっても、依然としてマインドは中心にのさばっていて、神のエッセンスが入ってこないので、ハートにもっと意識をもっていくように変えていくのが「愛のコース」の目的です。
「奇跡のコース」で止まっている人は、まだマインドの檻のなかに入っていることでしょう。
「愛のコース」を充分に時間かけて意識していても、やはりマインドは中心にのさばっていますが、かなりエゴを弱体化することに成功できるでしょう。

今回の本題は、マインドがいかに役に立たないか、そして、
人間の部分をなんとかしないと、神なる人間としての人生はないということです。

人間が、神から分離してから、ずっとなににトライしていたかというと、
神なしで神になることです。いいかえれば、神に似せてつくられた創造力をもって、自ら幸せになることです。
それが最終的な分離のゴールですが、実はこれは達成不可能です。

確かに、創造力をもっていますが、人間の人生は二元性に支配されていて、勝利や敗北の繰り返し、周りと比較しての達成くらいしかできませんし、多くは挫折ばかりの惨めな人生です。
ぼくのマインドは、引き寄せの法則を知って、今度こそ神のようになれると考えたのです。正確に言えば、神(ソース)の部分を巧みに操って、神なる人間になる、と。
しかし、ここに落とし穴がありました。

確かに、神の部分である、真の自己なくして、神のようにはなれません。
しかし、マインドがコントロールセンターに居座って、それが達成できることはありません
マインドは限界があります。真の自己からすれば、とても制限された能力しかありません。

マインドは自ら成功し、幸せになるために、真の自己と同化を図ります。
しかし、マインドがコントロールしようとしている間は、それができません。
スピリチュアルエゴは、人間の自己が神になろうとする傲慢さと虚飾のことです。
実際には、真の自己がやってくれることに、乗っかることしか人間の自己はできないのです。

マインドは、成功も出来なければ、幸せにもなれず、
真の自己と同化したくても、それを妨げることしかできません。
二元性から出られず、制限の中で幸せになろうとし、その幸せも二元性のなかからしか想像できません。
いやぁ、絶望的です。

本当に救われるためには、マインドがコントロールセンターから降りることです。
人間の部分は大海原の一点のようなものです。
しかし、その一点のために大海原が存在し、その一点のために機能してくれています。
これは素晴らしいことです。

マインドがコントロールしようとすると(それはごく普通の人間の行為なのですが)、神なる大海原の豊かさを堰き止めて、限定化してしまいます。

人間の部分を消すことが出来たら、どんなに楽でしょうか。
マインドがあまりに厄介であるから、死を持ってアセンションするのがとても有効な方法でした。
しかし、ぼくらは肉体を持ったままのアセンションに取り組んでいます。

マインドの目的は、人間のまま神になることです。
スピリットの目的も、人間のまま神になることですが、意味していることが決定的に違います。
この違いがわかるでしょうか?

人間が神に昇華するのではなく、神が人間を包み込むのです。
人間が神になることはできなくても、人間であることをやめることで神に包み込んでもらうことはできます。
ここが本当のゴールです。

まぁ、実際には、神は体験する現象でしかなく、人間がなりたかった神とは真の自己のことですが。

マインドのすべき役割は、神になろうとすることでも、自己の創造力やアイデンティティーを証明することでもありません。
ただ体験することです。

そして、体験するために、人間はマインドとボディをつかって、本当にさまざまに思考をめぐらせ、様々な物理的行動を取ってきました。
もうそれらをやめるべきです。人間の部分は限界がありますから。

創造は真の自己の役割です。
真の自己に任せてしまうしかありません。
人間の自己は邪魔しないことに徹し、体験することに没頭するのが最善の方法です。

体験することに没頭するということは、計画しようとしない、問題解決しようとしない、心配しない、といったことになります。

人間の部分がやってきたことを手放さなければ、
神なる人間の新しい人生はやってきません。
けれども、手放すことはあまりにも多いものです。
それは、人間の人生でやってきたほとんど全てのことかもしれません。
それは、人間をやめるといっているようなものかもしれません。
ですからほとんどの人間がその準備はできていません。

人間の自己も、真の自己も、「私」の幸せをずっとずっと願ってきました。
その幸せの基準は、人間の自己と真の自己では違いがありますが、真の自己は人間の自己のそうした想いを汲み取ってくれます。
あなたが幸せを手放しても、真の自己はそれらの幸せを返してくれるでしょう。
あなたが幸せにしがみつけば、邪魔している人間部分を緩めることができません。

一旦全てを捨てます。
その場所で、全てを手に入れます。