去年の9月4日にAscension2.0に達し、この4月2日に2.1になりました。
悟りは、全てを理解し、自分が悟っているということを悟ることです。
その時点で、探求の旅に終止符を打ちます。それが9/4でした。

4/2は、人間であることをやめるという感覚の終止符です。
それがやってきました。

そして今こそ、全てがわかりました。

悟りに達しても、「私」の中心にいるのはマインドです。
これは絶対に逃れようもなく、消すこともできません。
なぜなら、この「私」のために、全てが存在しているのですから。
I am That I Amの中心点です。

マインドは、人間としての限られた能力しか持っていないにも関わらず、「私」の全てをコントロールしようとします。
もちろん、真の自己や、この世界の神なるエネルギーが取り巻いているのもわかっていますが、それらを扱うのも自分だとマインドは思っています。
自己を放棄し、真の自己に投降する際も、それをやって達成するのは自分だとマインドは思っています。

このマインドという人間のコントロール部分に限界があります。
ぼくは、この限界をうんざりするほど思い知りました。
人間の部分の限界があります。この範疇では、決して、本当の悟りを体現することはできません。
だから、ぼくは人間であることをやめます。

そうはいっても、人間の部分は残ります。
そこはなくならないし、そこがなくなっては水の泡です。
人間と神性の融合が神なる人間という新しい生き方であり、
肉体を持ったアセンションです。
ぼくは、これを長い生涯で目指してきました。

人間の部分をぼくは過剰評価していました。
でもダメです。マインドはcrap(うんこ)です。
古いパターンを創造し続けることしかできず、決して超えられません。
超えるのは真の自己です。I Amです。
もう人間の限界のなかにいたくはありません。

人間としての自分は、千もの生涯の中で、与えられた創造力を使って神と同等の幸せを手に入れようとしてきました。
しかし、それは幻想でした。達成不可能なのです。
引き寄せの法則マスターというのも人間の創り出した、限界のなかの虚像です。
本当の引き寄せは、人間外で起こります。

悟りに達しようという人は全て、自分の力で、人間の力でそこに達しようとします。
それは無理なのです。
人間の力を手放さないと、そこには達しません。
人間でできる学びと、マインドの正常化が済めば、
あとは人間のマインドを手放すだけです。

そこまで散々、自分の力で、人間の力で到達してきたので、
やっぱり最後の悟りの到達も、自分の力で、人間の力で、となるのは当然のことなのですが、
もうわかってしまいました。それはできません。

悟りとは、無数の生涯で行ってきた挑戦と冒険を諦めることです。
だから、解放感というよりも、虚無感に近いです。

これは絶望ではありません。

単に役割が違うだけです。
人間は神に似せて創られており、マインドは創造する力を持っています。
通常、フォーカスする力と信念で創造していきます。
そこが人間の出来る限界です。

それを超えると、マインドではなく、存在の全てから無意識に引き寄せるようになります。
マインドの創造の力を超えた、真の自己の創造に任せればいいんです。
そうすれば、マインドの役割は、体験することのみになります。

それでいいんです。体験して、味わう。
創造の部分は、全部大いなる自己の別のパートがやってくれます。

こうなると、もうなにも必要はありません。
思考で問題解決することも、目標や計画を立てることも、健康に気を遣うことも、努力することも、もうなにもかも必要ありません。

そして、人間マインドの創造と違って、完璧に秩序だっていて、あらゆる望みを届けてくれるので、苦しみや悲しみも必要なくなります。

ここに辿り着くために、人は旅してきました。
そして、ぼくはようやく辿り着いたのです。

けれど、繰り返しますが、マインドはなくなることはありません。
また古い習慣で、コントロールしようと、頑張ろうとしたがります。

もう本当に、うんざりで、嫌です。
人間の部分を神性で溶かして、真の自己で包んでほしいと思います。

徐々にマインドにも、ボディにも、神なる意識が浸透していると信じ、
今後一切、「私」の人間の部分は、体験することと味わうことに徹します。

なんと美しく、そして虚しい終焉でしょう。