世界は完璧で素晴らしいのに、どうして生きている人は「苦」ばかりを経験するのでしょう。
エイブラハムは願望の素晴らしさを語っています。
しかし、人は願望の数ほど苦しみを経験し、願望の大きさほど苦しみに押しつぶされます。

わたしたちは「苦」に対してどう向き合えばいいのでしょうか?
どうすれば願望が苦しみを通過せずに届けられるでしょうか?

 

その大きなヒントになるのがエゴです。

キリストは「奇跡のコース」で、苦しみの原因は「個人的な利益の追求」「特別性の幻想」だといっています。

個人的な経験は素晴らしいものです。
そのために、皆さんは生まれてきています。
しかし、何のために、こんなにも大勢の仲間たちと地球に生まれてきているのでしょうか?
他者があってこその個人的な経験なはずです。

しかし、人は、自分だけが特別に切り離された存在だと勘違いしていて、
自分だけが得をすること、自分だけが満足できることを追い求めます。
もちろん、他者の喜びに繋がることはとても素晴らしいと思っていますが、
自分自身が満たされていることが前提です。
ありあまるお金があれば人に奉仕するというのは、
単にパワーを誇示したいだけに過ぎません。

「苦」は、こうしたエゴのアイディアと同居しています。
苦しみの源はそこです。

だから、個人的な利益の追求をやめることです。

ブッダの八正道のように、いわゆる「正しい行い」は、
エゴに支配されないマニュアルとしてとても機能します。

そこまで徹底しなくても、個人の利益の追求をやめ、
特別性の幻想を抱かないことは、どこにいても何歳でも、誰でも可能です。
簡単ではありませんが、可能です。

 

多くの苦しみの相談を受けますが、
単にエゴにとりつかれて、苦しみのループから抜け出せないという人がほとんどです。