タイトルは「グレイテスト・ショーマン」のなかの一つの歌名ですが、
「最高の生き方」でないと満足できないという思いがあります。
しかし、それを裏返すと、現実の自分に対して「できていない」という有罪判決をしてしまいがち。
そうすると、自己を愛することから離れてしまいます。
ただ、「自己を愛する」というのには解釈の仕方が二通りあります。
エゴも現実も含めた自己を愛するのか、
エゴや現実の幻想に惑わされずに真の自己を愛するのか。
どちらの場合も、価値判断していると、エゴを含めた自己だろうが愛することはできないし、幻想に囚われてしまいます。
「あるがまま」とは価値判断しない先に見えるものです。
あるがままの解釈にも二通りあります。
狂気の現実も含めたありのままなのか、
狂気に惑わされない愛の本質に基づく真の姿であるありのままなのか。
矛盾をつきつけているようですが、
「最高の生き方」も「自己を愛する」も「あるがまま」も同時に成り立つはずです。
最高とか偉大という言葉は、二極性の一端だと思いがちですが、
神に属する言葉です。つまり、一体性のなかで、非二元において存在する言葉だといえるでしょう。
ただ、地球にいる以上、それは現実の中で現れます。
最高の生き方というものも、現実として体験できるのです。
そこには、奇跡や愛をみます。
確かに、豊かさという形もみます。
人は進んで神を選ぶことができません。
人は最高の生き方を選ぶことができません。
かくして「苦」は持続します。
しかし、苦の生き方にいい加減うんざりするなら、
この転生で終わりにしたいなら、
神を選ぶこと以外、最高の生き方を選ぶ以外、
どんなこともNever Enough For Me.だという思いにならないといけないのかもしれません。
知名度も金も人も家も宝石も実績も、この世で人がほしがる全てを差し出されたとしても、
Never Enough For Me.
完全なる打ち消しの心。
今回は、ちょっと謎めいた引き寄せの法則ガイドとなってしまいました。