地球上で悟りに達する人が増えているようです。
後から続く人たちは、より楽に達することができるでしょう。前例があるというのは本当に助けになります。
ぼくは前例がないなか、エイブラハムや奇跡のコース、神との対話やクリムゾンサークルなど、チャネリング情報を頼りに、理解と気づきと発見を繰り返していきました。本当にとんでもなく時間をかけ、とんでもなく苦労してきました。

ぼくが前に「鉄のカプセル」と呼んだ、どうあがいても脱出することのできない、分厚い鉄の板が何重にも重なった鉄のカプセル。それが変えたくても変えられない人生の象徴的な壁でした。これは、サン・ジェルマンが10万年の間閉じ込められたという水晶と似ています。

最近、そうした人間の殻を、外側から眺められるようになり、ぼくが永遠に苦しめられた鉄のカプセルは、紙で出来た箱のようにはかないものだと思うようになりました。

わたしたちは、紙の箱のなかに、箱庭を創っています。自分というアイデンティティー、自分という人生、家族、人間関係、好き嫌い、価値観、過去・現在・未来……。
箱庭作りに夢中になり、そのなかで、数々の悲劇や喜劇を展開しています。

紙の箱のようにもろくはかないものなのに、神は壊すことなく、眺めています。壊してほしい、溶かしてほしいといっても、神は一切そんなことはしません。
神の光が、うっすらと紙を通過して、わたしたちの箱庭に届いており、その限られた光のなかで、生命の奇跡を体験しています。

紙の箱が壊れ、溶けて消えてしまえば、神の光が入ってきて、溶け込むことになります。
これが思うに悟りの最終形で、光が入るほどに、人間も変化していくでしょう。
ただ、わたしたちは箱庭同士で共有して生きており、ほぼ全ての人は箱庭のなかしか見えませんから、身体を残したまま箱が完全に消えるのかはまだ謎です。
しかし、箱を手放し、溶かしてくれることを望むのであれば、おそらくほとんど消えてしまうでしょう。

内なる神と外なる神が溶け合うことになります。
その中心に自己がいますが、やっぱり溶け合っています。
だから、イェシュアは「Father and I are One.(父と私は一つである)」というわけです。

紙の箱といえど、やっぱり人間から見ると、何重にも張られた鉄のカプセルのように見えます。
神の光は届かず、脱出することはできず、望むものは手に入れるのも一苦労。

しかし、人間の夢中になっている殻が、客観視できるようになると、鉄のカプセルの外から眺められるようになり、そんなときはカプセルから出ているのです。

箱庭作りはもうやめたい、と強く思っても、なかなかやめることはできません。
歩んできた人生、家、家族、恋人、生きるために必要なお金、衣服、自分の価値を感じるための他人からの評価や愛……
あなた自身も捨てる気にはならないでしょう。それは全てを崩壊させることであり、死を意味します。
(多くのマスターが死と引き換えに悟りに達するというのもよくわかりますよね)

実際には、箱庭ではない、リアルな本当の創造物のなかを生きられるようになります
箱庭にあったものが全部消えてなくなるわけではなく、壁が取り払われ、神の光が流れ込み、
より素晴らしいものに取り替えられていくのです。

全てを捨てて、全てを手に入れます。

「奇跡のコース」で、精霊が取り替えてくれますよ、といっていますが、このことをいっています。

人間が作る箱庭がなくなると、体験の場が拡張することになり、より壮大な多次元的な生き方になっていくでしょう。三次元がベースにあるものの、そのほかの次元にもオープンになっていくでしょう。

自己はあたかも、透明な結晶体のようになります。神の光をよく通す結晶体です。
ゾクチェンが虹の身体、グルジェフが結晶化ということをいっているんですかね?
詳しくは知りませんが、もしかしたらこのことをいっているのかもしれません。

昔のマスターと、これからのマスターの大きな違いは、
すぐに身体を捨てず、地上で肉体を持ちながら多次元的な生き方をするという点です。
近い将来、多くの神なる人間が地上を歩くようになるでしょう。
それは、人類のためにも良いことです。
人間の殻がなくなり、神の光を放っている人間がいると、その光が地球や人類にも影響を与えます。
従って、悟りは個人的ですが、全人類にも影響を与える偉業になります。
ですから、数多くのアセンデッドマスターがわたしたちの支援をしているのです。