年末年始、数日帰省してました。
特に目的もない、ただの里帰りですから、親の連れて行くところにただついていくだけ。
思えばうちの親は(特に母親は)なんでもしてくれるので、三兄妹、家の手伝いということを知りません。
そうすると、妹なんか、料理はかなり苦手です。
ぼくもなんでもしてくれる習慣が普通になっているので、実家に帰ると、なにか流されるままです。
これも、育ってきた環境による洗脳ですよね。

両親や親戚たちを観察していると、やっぱりものの考え方の違いを感じます。
彼らは彼らの環境で培った、これが正しいこれが間違っているなどの考え方の習慣があるんですよね。
これも洗脳なわけです。

普通にテレビを見ているんですけど、よくなんの疑いもなく見ているなあと思います。
こういう田舎だと、テレビの影響はまだまだ大きいなぁと思いますね。
テレビってものすごくCMが長くて、ぼくはすぐ変えちゃいますけど、
テレビをいつでも付けている習慣がある家だと、CMも漫然とみているわけで、
やっぱりCMの効果はあるだろうなぁと感じます。
テレビの洗脳は大きいですね。
若い人はインターネットで情報収集しますし、テレビを見ずにYouTubeを見るという人も多いです。
そうすると洗脳も変わるわけで、考え方の違いも大きなっていくでしょうね。

身近にエゴを形成する洗脳はたくさんあるなぁと感じた正月でした。
これらの洗脳に惑わされず、流されない生き方をするのは、結構大変でしょう。
オリンピック選手になるとか、超強力で明確な目標があれば、
いいかえれば、別の強力な洗脳があるならば、流されないでしょうけどね。

普段の生活で、こうした洗脳事にいっさい囚われずに生きるというのは、
まさにマスターな生き方でしょう。
しかし、一般の人から見たら、あまり魅力的に映らない生き方でもあります。
瀬戸内寂聴が人気があるのは、洗脳事にどっぷり浸かって世俗的なところが理由でしょうね。
一般の人の視点に立てるわけです。

身近な洗脳事を見破り、そこに流されていていいのか、流されたくないのか、
一人ひとりがはっきりさせたいところですね。選択する力がわたしたちにはあります。