自分の人生の過程で何度あなたは台無しにしてきましたか?
うまくいきそうなところで失敗し、大事なものは破壊され、
あなたは苦しみ、呪い、諦め、また重い足取りで歩き出し、
そしてまた未来に待っているのは台無しにされることでしょうか?

そうしているのは誰でしょうか?
ええ、頭ではわかっていても、承服しかねる答えですよね。
あなた自身です

大事なものが破壊され、台無しにされるとき、人がそのあと辿るルートは
①もう一度立ち向かう、リベンジしようとする
②もう辛い思いはたくさん、もう近づかないようにする
③原因を究明し、学習し、同じ過ちを繰り返さないようにする
という三つになるのではないでしょうか?

簡単な言葉に代えると、
①反撃、復讐
②無力、挫折
③努力、成長

③が一番良さそうですね。
しかし、きっと③もあなたは何度となくトライしてきたのです。
実際には①から③まで何度も体験してきたのではないでしょうか。

①は結果論的にうまくいきません。
②は結果を受容しているようにも思えるのですが、実際は無力感や挫折感の行動ともいえます。

ぼくが思うに、この三つのなかに真の答えはなさそうです。
真の答えの前に、どうして破壊され、ズタボロに台無しにされるのか、
なぜあなた自身がそんなことをするのかを考えてみましょう。

それは、過去の歴史で培われたものです。
過去生でも積み重ねてきましたし、今生でも、それをやり続けていますが、
わたしたちは、リベンジしようとしたり、諦めたり、学んで成長しようとしたり、
ずっと果てなき死闘のドラマを演じてきました。

ふむ。エイブラハムのいうように願望のロケットを発射しているのなら、
解決策も生まれているはず。そして、あなたは引き寄せようとしてきたのに、
いつまで経ってもあなたの元に本当に望むものはやってきません。
なぜでしょうか?

エゴもまた、願望を持っており、創造のエネルギーを持っています。
特に、反撃し、復讐しようとするとき、あなたは望む結果のために闘いますが、
強力な力で敗れてしまいます。
エゴはあなたを殺したいのでしょうか? 不幸せにしたいのでしょうか?

あなたが同じ結果になる度に、あなたは「自分はこんなものだ。不幸せで、どんなに努力しても報われない」といういつもの波動に戻ります。
一つには、同じ無力で矮小な波動に戻そうとするパワーが働いています
エゴはそれをやり続けています。エゴはそうやって生き続けます。

そしてあなたの願望の波動が何度挑んでも敗れてしまうのは、
現実を否定し、抗っている、重い波動であるということも理由の一つです。
制限の思考がまとわりついています。

もう一つは、あなたの人生、あなたの世界はあなた自身であるから、
闘っている相手はあなた自身であり、反撃はあなたに返ってくるということです。
これは偉大な気づきです。

全てが自分自身なので、もし、社会のせいや他人のせいにしているなら、
大勢の人間たちと同じように、幻の中の迷宮をさまよっています。
全てが自分次第だと気づくことによって、目覚めが開始します。
しかし、まだまだ人生を変えるにはほど遠いものです。

さて、真の答えとしては、全てが自分自身から生まれているという気づきから、
起こっていることを受け入れることが第一歩です。
そこから学んだり、成長するのが第二歩。
自分自身を見つめ直し、知ることが第三歩。
エゴや過去からの因縁を断ち切ることが第四歩。
自分を愛することが第五歩。
自分は過去の自分とは違うということを態度と生き様で示すことが第六歩です。

ちなみに、自分が目指しているものを無力感とともに諦めたり、
これは執着なんだ、よくないんだと離れることは根本的な解決にはなっていません。
確かに金欲・物欲・名誉欲などは、エゴと密接に絡み合っているので、
余計泥沼にはまることもありますが、聖人面した生活を送る必要はありません。

世界はあなたのものなんですから、好きなように楽しむべきです
お金も人も、物も、体験し、味わうために存在しています。
執着を咎めるのは、それが不足感や無力感、復讐心や自己欺瞞などと結びついているからです。
そうした矮小な自分は手放してしまうべきです。
夢や願望を捨て去る必要はないのです。
純粋に喜びをもたらしてくれ、新鮮な体験を与えてくるものを手放す必要はありません。
けれど、そこにまとわりついている矮小で不足や制限に満ちたエゴの要素は手放しましょう。

もう一度、本筋に戻りますと、全てが自分自身の内側から起こっているとするならば、
外の世界で闘い続けるのは鏡の自分と格闘するようなものです。
外側に対してリベンジしようとしたり、内側に対して罪悪感を抱えるのではなく、
自分の本性は純粋無垢な神であり、なにも悪いところはないということを認め、
少しずつ身から出た人間的なサビを落としていき、綺麗になるのを見届けることです。

学ぶべきことは学び、努力すべきことは努力してください。
完全に抵抗を手放して、受け入れる状態になるまでには、
今は邪魔な荷物が多すぎます。
ある程度③のように、努力・成長も積み重ねていきましょう。
行き着くところまでいけば、もう努力も成長も必要ないんだと思えるようになります。

もういい加減、わたしたちは解放されるときです。