ぼくの「引き寄せの法則の『その先』へ」は11年の学びの集大成であり、
できる限りわかりやすく書いているとはいえ、ほとんどの人にとっては難しいようです。
まぁまぁスピリチュアルも読んできたという知り合いでも読了するのに四日間かかったといっていました。知り合いでも読了した人をあまり聞かないので、特に一般の人にとっては全然合っていないでしょうね。

「奇跡のコース」やクリシュナムルティと結局、同じことを語らざるをえませんが、それらよりとてもわかりやすく書いているので、それらを読む学習意欲があれば、「引き寄せの法則のその先へ」は読んでいけるでしょう。そうしたスピリチュアル玄人の方々や引き寄せの法則でもがいてきた方々には是非読んでほしいです。

この本で、ほとんどの人にとって難しいのに、また難しいことを「引き寄せの法則ガイド」では書きますが、私たちの永遠の自己、純粋なる私について、熟考したことがあるでしょうか?

それは不変で永遠。あなたの存在の深奥はどこまでも果てなく在り続けます。
この存在は、「神から創造されたままの私(※奇跡のコースの言葉)」であり、愛や創造力や幸福を保持しています。
これらを持っていないならば、神の性質を持つ神の子とはいえず、神は不完全なものを創造したということになります。それはありえないことです。

この存在の中心点には、愛・創造力・幸福があるのです。これってとてもすごいことだと思わないでしょうか? 不変で永遠に保持されているものなのです。

だから、わたしたちが、この究極の在り方に戻っていこうとするとき、なにも外に探す必要はありませんし、なにも変わる必要がなく、なにも成長する必要もないのです。
努力の見返りに手に入れるエッセンスではなく、常に保持しているエッセンスだからです。

しかし、肉体の形態の私に焦点を移し、外界を見るなら、途端に愛・創造力・幸福を見失います。嫌われ、虐げられ、人生のためには努力が必要で、その努力もほとんど報われずに社会の下敷きになり、幸福はモノやカネで測られるようになります。
本当に途端に、あらゆるものが困難となり、狂喜乱舞の様相に巻き込まれるわけです。
でも、それが人間というものですよね。

神の在り方と、人間の生き方が大きく異なるわけです。
神の在り方に近づくためには、人間的な価値観を変えていかなければいけません。ですから受け入れの心が必要で、神のパワーを体験して、自己の内なる気づきをもたらすには、創造の心が必要なのです。そして、神に近づくためには、人間の性質を捨てていく、打ち消しの心が必要です。

ぼくが目指すのは、神の在り方と人間の生き方をドッキングさせることです。
キリストもいうように、この肉体とこの外界で成し遂げなければいけません。完全に私というものを消すことが悟りではないのです。

外界を生きながら、外界に惑わされず、常に保持されている愛・創造・幸福に完全にオープンになりたいですね。人間として生きながら、常に神のエッセンスが発露し、世界に広がっているのが理想です。