奇跡のコースなどスピリチュアル・精神世界の本

スピリチュアル・精神世界の本は一般の人が考えるより真実の本は多くあり、
スピリチュアルに傾倒している人が考えるより少ないです。

スピ系の出版社はいくつかありますが、どうしても玉石混交になってしまいます。
真偽の判断がつかないからでしょう。
目に見えない世界の情報ですから、非常に難しいもので、文章の明晰さや情報の首尾一貫性などから総合的に判断するしかありません。
ぼくの場合、チャネリング本が多いですが、内容重視です。仮に偽物で、人間が書いていたとしてもこの内容であれば喜んで学ばせてもらう、というぐらいのレベルを求めていれば納得できます。

ただ、内容がとても素晴らしいのに、疑問が晴れないというものがあります。
ぼく自身、内容の真実性を認めていながら、どこか引っかかるということがあります。
それは、イエス・キリストに関する記述の相違です。

ある本ではマグダラのマリアと結婚していたという情報が書かれています。
ゲイリー・レナードの「神の使者」や、トム・ケニヨンの「アルクトゥルス人より地球人へ」です。
しかし、他の、キリストが現れて語ったという本では、そういう関係ではなかったとキリスト自身がいっています。その本も、気になる点はあるものの、一介の一般人が書ける代物ではありません。

トム・ケニヨンの「アルクトゥルス」は、かなり違和感のある本です。太古の昔のエネルギー体であるサナート・クマラがそんな風に喋るか? そもそもチャネリング可能なのか? 宇宙船?
この本では、イエス・キリストも出てきますが、「奇跡のコース」とはまったく別人であり、「私はアルクトゥルス人です」と語っています。
この本だけ読んだら、ぼくはこの人を外すのですが、「ハトホルの書」は素晴らしいんですよね。古代の錬金術やイニシエートの本を相当勉強すれば、人間でも書けそうですが、ハトホルは非常に真実度が高く、実際学びになりました。

ゲイリー・レナードは、アーテンとパーサという存在がちょっとおかしいんですよね。ぼく、劇作家として50作以上書いていますが、ちょっと台本っぽい。アセンデッド・マスターにしては違和感の感じるキャラクターですし。執筆に使っている録音を是非公開してほしいと思います。公開できない理由が弱いです。ゲイリー・レナードは「奇跡のコース」の優れた学習者だと思いますが、いくぶん創作の香りがしてしまいます。
「神の使者」はシェイクスピアの話もあり、非常に興味深かったんですが、シェイクスピア別人説はいろいろ研究されているので、この辺も情報を掴んでいれば書けなくはないんですよね。

今月刊行される新刊「イエスとブッダが共に生きた生涯」が興味深いので、検証してみようと思いますが、そのなかで「愛のコース」が別物だと書かれているらしいですね。
「愛のコース」はくもりなき超弩級本であり、「奇跡のコース」の続編という位置づけもよく理解できるので(多くの人が奇跡のコース止まりで、その先の悟りにいけない。エゴのマインドを瓦解させたら、存在の本質である愛に帰るのが次の段階です)、真実本だと確信しています。
この「愛のコース」のマリ・ペロン派の人々が、ゲイリー・レナードを批判しているという情報がありますが、その影響で、ゲイリーは「愛のコース」否定を行ったのではないでしょうか?

そもそもアーテンとパーサがあれだけ「奇跡のコース」とJについて語るなら、絶対に「愛のコース」にも言及しているべきでしたが、「神の使者」にはそれがないのですから、整合性をつける必要性が出てきます。「愛のコース」を否定するのが一番です。

キリスト本人のチャネリング本も割とたくさんあって、そんなにいろんな所に出現するか?という疑問はあります。不思議なものです。チャネリングのできないぼくにとっては、チャネリングして聞いてみたいことの一つです。

 

基本的に何を信じるかは自由ですし、その人の成長段階や成長経路によって、触れるものは違います。そういう意味では、まがい物であっても価値がありますし、誤解と偏見にまみれた指導者のいうことを信じることも一定の価値があります。

ただぼく個人は、一切回り道をしたくないのと、混じりっけなしで矛盾のない智慧をマインドに保持したいので、読む本を選択するときには慎重になるのです。慎重というか、響かないものは、そもそも読みませんし、仮に読んでもあまり線を引きません。

矛盾したものを無作為に取り入れたらぼくは危険だと思います。また、いつまで経っても疑問が晴れないでしょう。玉石混淆の無駄な石を意図的に取り除き、真実を見極めていくべきだとぼくは思います。