「求めよ、さらば与えられん」というのは、人間の邪魔がなければ、という話で、
実際は、「求めよ、さらば与えられん ただし全て奪うが」に近いです。

求めれば求めるほど、奪われます。
失うし、与えられないし、反逆されます。

そうではないでしょうか?

ぼくが観察する限り、そうなっています。
それは、人間の虚しい悪循環です。

物理的な原因と結果しか頭にない人は、1足す1は2のように、
普通に結果が出ることが多いと思います。
人間の枠や制限がガチガチにある人は、その範囲内で、物理的に実現します。

エネルギーの関係を持ち込むと、そうはいきません。
つまり、引き寄せようとすればするほど、奪われたり、失ったりということが顕著になります。
散々「逆引き寄せ」と呼んでいるものです。

究極的には、人間サイドの欲や思考や努力をほとんど消さないと
流れがよくならないですね。
「求めよ、さらば与えられん」になりません。
もう、はっきりいって「求めない」感じです。

だから「求めるな、さらば与えられん」のほうが適切に思えます。

人間を消すというのは、難儀なものです。
日々、人間として生きているわけですから。

全てに対して、漠然と全的にフォーカスしているという感じですかね。
思考は特定のことに対してお喋りするので、やっぱりなにかにフォーカスを当てるわけです。
なにか願望があって、そこに取り組むと、強く部分的にフォーカスするようになり、
そうするとなぜか時間が経つにつれ、うまくいかなくなります。

それは、根底にある、飢えや渇きが投影されていくからでしょう。
以前、不足感のウィルスの話をしましたが、人間はウィルスに冒されています。
特定の事柄にフォーカスを当てて、願望を燃やすほどにウィルスがその対象を食い尽くしていきます。

人間を消すしかないわけです。
いかに、肉体の死を使わずに、人間を死に至らしめるかです。
肉体の死は、輪廻転生して、同じことを繰り返すだけです。
肉体に宿ったまま、これを成し遂げなければいけません。

いくつもの人生で不足感・無力感・罪悪感を背負ってきました。
それらが現世でも亡霊のようにまとわりついているのです。

それらを消そうとすればするほど、亡霊は強くなります。
静かに、内なる光を強くしていき、神なる自己へと移行していきます。

人間として達成すべき最後のゴールは、
人間を消すことです。