自分の思考のパターンを離れて見れるようになると、これだけ15年近くスピリチュアルをやっていても、うんざりすることがあります。
自己嫌悪とか自己卑下とか、ほとんどしたことないですけど、プログラミングされた人間の脳を観察していると、自己嫌悪しそうにすらなります。

なんて、愚かで単純で懲りないのでしょう。ひどく制限されていて、邪魔ばかりしている。
過去のパターンを焼き回しすることしか能がなく、本当の問題解決などできない。

目覚めなど起きず、人間のまま、洗脳されたまま、
一喜一憂する毎日を暮らしている方が楽なのではとすら思いますよ。

思考の粒子という話をしましたが、体験から得たデータが蓄積されていて、
それは生きている以上作動して、現実に対して反応するんですよね。
それを覆すためには、結構強固なマスターとしての態度を示していないといけません。

せっかく無限の比類なき神のパワーが働いていても、
上に被さっている思考の雲が、ほとんどの光を遮断します。

人間の身体を捨てた方が簡単でしょうけど、
人間のまま神化するというのは、まったくもって大変です。

死んでいるDead Meですが、怨念に満ちた亡霊のようでもあります。
生きているLive Meが強いときはよいものの、結局まとわりついている亡霊をなんとか消していかないとまずいのです。
脳のデータでもあるので、完全に消すことはできないまでも、鎮めて、浄化しないといけません。

一番決定的なのは、神性にもっともっと触れて、体験化するということです。
愛や豊かさや奇跡をもっともっと体験するということです。

悪魔やマーヤー(幻影)ともいわれるDead Meですが、
本当のハルマゲドンは心の中で起こっているとラムサがいったように、長い戦争です。
なんでもない思考、なんでもない自分というアイデンティティーなんですけどね。
それも自分の一部であり、アスペクトなので、一緒に神の光のなかで静まってくれるといいのですが。