打ち消しの心でいっていることは、よくいわれる「手放すこと」ではあるのですが、
手放すとは、一体何をどの程度どんな風に手放すというのでしょうか?
今回はそんな話をしましょう。
キリストが「奇跡のコース」「愛のコース」でさんざん言っていることなのですが、
どんなに言葉だけ聞いてもなんの変化も起こせないでしょう。
それらの言葉を本気で考えるなら、とんでもないレベルで手放すことが必要だとわかります。
そのことがわかっても、手放す覚悟まではないでしょう。
あなたの夢や良い人間になろうという努力、目標や計画、
その他あらゆる日常的に短期的にも長期的にも思っていることは手放す対象です。
生きていかなければならないという思いすらもそうです。
そんなことを聞くと、疑問に思うどころか、怒りや呆れになるかもしれません。
それはよくわかっていないからです。
まずは、なにもしなくても、わたしたちは世界を与えられているということに気づいてください。
わたしたちが出す波動によって、わたしたちの世界は動き、数多くの仲間たちの世界と共有しながら、個々の人生を送っています。
あなたは、追い求めすぎていませんか? いつもなにか追いかけて、いつもなにか目指して。
疲れたら休んだり、別のことを考えて紛らわしたりしますが、また生きるためにせっせとなにかを求めます。
それは異常なのです。人間世界では普通のことですが、神の視点では異常です。
もちろん、人間は、エイブラハムがいうように独自の視点で体験し、拡大成長していく存在です。
まったくなにもせず、命すら放棄せよといっているのではないことを理解できるでしょうか。
どうあっても、あなたは体験を通して日々波動を発して、世界は与えられています。
そこに努力は必要ありません。
むやみにしきりに、追い求めるが故に、あなたの視野は大変狭くなっていて、あるがままの世界は見えていません。
あるがままの世界は誰に対しても与えられていますが、追い求めることであなたの思考や価値観に即したものしか見えなくなっています。そうすると、神からの贈り物も見えないのです。
ですから、手放すのは、あなたの止むことのない狭い集中と価値判断です。
あなたが良い人間になろうと思い続けるだけで、あなたは幻想をあるがままの世界に追加し続けます。
あなたが頑張って生きていこうと行動し続けるだけで、あなたは幻想をあるがままの世界に追加し続けます。
そして、真の世界は知覚できないままです。
これが神が見えない原因です。
ですから、手放すというのは、非常に壮大なレベルです。
あなたの世界を覆っている全てといえます。
これらを手放したとき、あなたはどうなるでしょうか?
夢や将来もない生きているのだか死んでいるのだかわからない空虚な人間になるでしょうか?
いえ、実際には、夢を実現しながらよく生きています。光り輝くように生きています。
創造の力を与えられているのですから、それらを与えられます。ただ、幻想のヴェールが取り除かれるのです。
今回も、難しい話になってしまいました。