ぼくは、貸し会議室をやっているので、やられているスピリチュアルセミナーをいろいろ聞けます。
引き寄せの法則が働いているので、ぼくがセミナーをやるときと、
別の人のセミナーでは同じスピリチュアル系でもお客の傾向が全然違います。
だからこそ、別の人のセミナーでは、こういう人がたくさんいるんだと知ることが出来ます。
いわゆるスピリチュアル好きの人たちとは、ぼく自身はほとんど出会わないけれど、
実際にはたくさんたくさんいます。

スピリチュアル好きの人たちの特徴として、「すごく信じやすい」という顕著な点があります。
そんな信じやすい人は、様々な本を読んで、セミナーも出ていますが、
本当に幸せになっているのだろうか? と疑問に思います。
だから、別の人のスピリチュアルセミナーのときには、いろいろ分析します。

アンケートをとれば、それは自己肯定するでしょうから、
「幸せになっている」と答えるでしょう。が、実際に感じるのは、
幸せというオブラートで隠している」のではないかということです。

信じることは制限を取り払うことであり、可能性を広げます。
だから、とても肯定的な結果が出てくるはずですが、何でかスピリチュアルセミナーに
出ている人は、スピリチュアルという美しい世界に逃避して、大して解決していない
現実にオブラートをかけて、幸せだと思い込もうとしている人が多そうだと思いませんか?

セスが、まことの精神性は、物質的な世界のなかでの創造にあるということを
いっていますが、物質的な部分を無視していては真の幸せはつかめないことでしょう。
現実の問題というのは、自ら引き寄せたものであり、それらは恵みであるはずです。

そこを受け入れずに、都合よくスピリチュアルの世界を美化し、傾倒し、
没頭するのは、幸せだという狭い領域の思い込みに過ぎないのかもしれません。