要するに、この世界が「なにも問題のない世界」であると自覚できるかです。
これは、どんなに知性のある学者や教養人も理解できません。
スピリチュアルの領域で学んだ人が、その世界について聞くことができます。

神の王国は、たった一息しか離れていない
あるがままの完璧な世界がある
全てOK

皆さんも色々聞いたし、考えたし、トライしたと思います。
散々聞いて、散々うんざりしてきたと思います。

ただ単純に、なにも問題のない世界があるのに、
誰もその世界を実感できず、世界屈指の頭脳でも理解できず、
ほとんどの人は見聞きすることすらありません。

しかし、本当に単純ですが、
神が創ったなにも問題のない世界があり、
存在しながら無視されています。

なにも問題のない世界を想像できるでしょうか?
なにも問題がないのですから、なにも修正することも改善するものもありません。
なにも罪がなく、なにも自由を阻害されることはありません。
なにも問題がないのですから、なんでもできます。不足はありません。
不平不満を差し挟む対象がなく、怒りや恨みをぶつける対象もありません。
比較して嫉妬する必要もなく、競って優越感や劣等感に浸ることもありません。

これらは、あなたがスピリチュアルの学びを通して
聞いてきた理想の世界、神の世界ではないでしょうか?

それが今ここにあるのに、どうして、私たちは見えないのでしょうか?
どうして探して探して探し続けるのでしょうか?

問題を差し込むのは人間です。
なにも問題はないので、問題を差し込んでも問題ありませんでした。
そうして、問題しか見えない世界が続いています。

なにも問題のない世界に差し込んだ数々の問題を、
あなたは枯れ葉のように散らすことができるでしょうか?
死んだものであり、必要ないものであるとすることができるでしょうか?

ぼくは気づいたのです。
いったいどれだけ長い時を使って、問題と闘ってきたのでしょうか?
飽きもせず、同じパターンで、無力感・不足感・罪悪感を投影し、
苦しみ、悩み、探し、努力し、
どれだけ繰り返してきたかわかりません。

けれど、それらの問題は、人間が差し込んだだけです。
誰でも「一抜けた」と、そこから離れることができます。

もういい加減、なにも問題のない世界を生きたいのです。
そこは、神と深く溶け合える世界です。
全てがそもそも神によって与えられている世界です。
同じパターンの人間ドラマに、もう興味はないのです。

無力感・不足感・罪悪感で人生を創造するのではなく、
神とともに、愛と喜びで人生を創造したいのです。

だから、ぼくはなにも問題のない世界を生きていきますが、
皆さんはどうしますか?

これはつまり、完全なる受け入れであり、完全なる降伏でもあります。
それをとてつもなく難しくしてきたわけですが、
本当は単純なのです。
「一抜けた」と離れて、今ここにある、なにも問題のない世界に入るだけですから。

単純でないのは、
たくさん差し込んだ問題や、無力感・不足感・罪悪感を
持ち込めないというところです。

なにも問題のない世界に問題を持ち込んだら、
これまでと変わらない、人間たちの問題の世界にしかなりません。

全部捨てていかなくてはいけません。
単純だけど、そこだけがとてつもなく難しいところです。

だけどあなただって、本当に必要ないものは捨てていけるでしょう?
自分にとって真の幸福を選んであげるのは、自分への愛です。
自分に対して、問題のある世界を体験させ続けるのは、自分への罰です。

もう見慣れた世界をあとにしましょう。