自分を愛することができない。
自分や自分の人生に許せない気持ちがある。
これを放置しておいてはいけません。

そもそも、なぜ愛せないとか、許せないということになるのでしょう?
恐れといえば、それまでですが、ちょっと違う辿り方をしてみて、
とても腑に落ちたので引き寄せの法則ガイドに書き記しておきましょう。

 

真の自己の姿に近づいてみましょう。イメージしてみて下さい。
あなたは形があって、形がないようなもの。水の流れのような、風のような存在です。
あなたが自分を意識している中心は確実にあり、あなたはそこで、漂いながらあらゆるものと溶け合っているのを感じています。
他の人間らしき流れや自然の流れとも混ざり合ったり、交流したりしています。
目的もなく、なにも持っていません。しかし、なにも不足はありませんし、あらゆるものを持っています。
全体と溶け合っているからです。

その状態では、自分を愛せない、許せない、という気持ちや考え自体が存在しません。
根拠がなにもないからです。
そして、愛でつくられているので、愛以外がありません。

そこから、物質的になっていきましょう。
形なきものから、形あるものへと変化していきます。
あなたの肉体がだんだんと明確化されてきて、わたしたちが暮らしている地球が現れてきます。
時間や場所、自分自身の人生の環境が微細に至るまで物質化されていきます。

そこは、流れて、溶け合う世界ではなく、ゴツゴツとぶつかる感じの世界です。
自分以外の肉体をもつ存在や、様々な価値観、重力、高低、貧富などが存在していて、それらの周囲の世界と比較してみると自分自身の人生や肉体は、不足や醜さとして認識もできます。
なにか、すごくゴツゴツと当たる感じです。自由に流れていたのに、もうそんなことはできません。
はっきりとあなたの顔があり、年齢に応じた肉体があり、目の前に立ちふさがっている問題があり、相容れない人間関係があり、暮らしている家があります。

ここまで物質的な世界に辿り着くと、自分を愛せない、許せない、という気持ちや考えをつくる根拠も見つかるでしょう。
本質的には、愛の流動体でしたが、今はわたしたちのよく知る人間であり、地球であり、2019年です。

あなたはどんなことを感じましたか?

 

思ったのは、自分を愛せない、許せないとか、価値判断や罪悪感は、この物質世界という幻想までやってこないと生じることはないということです。
それは、愛の流動体が変化した、人間という外側の殻の部分で生じるものであり、この世界だからこそ見える些細な幻です。
元々最初の存在であった、流動体としての自分は、固く変化しただけであり、本質的にはそのまんま残っています。わたしたちは、ただ幻をリアルに見ています。

稀に、この流動体での感覚を不意に全的に体験する人がいます。
それは、幽体離脱したときや、一瞥体験といわれるときです。
不意に体験しなくても、イメージでもその様子はよくわかります。
肉体の殻が本当の自分ではなく、溶け合って自由に流れている流動体が本当の自分だと知っていれば、
現実世界にいても生き方が変わることでしょう。

完全にカチコチの物質世界に来ても、ゴツゴツとぶつかって、不快な感情が生じても、
自分の本質は、流動体だと思えるでしょうか?
アセンションを遂げたラムサは、風と一体になりました。
土も風も水も火も光も、形を変えます。そのような存在として自分を認識できるでしょうか?

できるならば、とてつもなく自由に違いありません。
その流れ、その形の変化があれば、物質世界の様々なことにゴツゴツとぶつかって不快な感情が生じることもほとんどなくなっていくでしょう。

ぼくはそのように在りたいと思います。
風のように、水のように、光のように。ときには土のように、火のように。

ぼくはゴツゴツと当たるのが大嫌いだったのです。
がんばって、もっと固く、周りのゴツゴツに対して抵抗していました。
そうして疲れてきて、ゴツゴツ当たらないくらいの小さな巣を作り、そこに安住しました。
けれど、退屈で代わり映えしなくて、最高の人生を送りたいという思いと正反対でした。
また、外に向けて固い身体をぶつけては、疲れ、憤りながら、少しずつ巣を大きくしていきました。
そうして長い年月かけてできた巣は、他人から見れば「大きいですね、立派ですね」といわれたりしますが、自分は全然満足感がありません。満足度は20%程度です。

ぼくは、なぜ20%程度しか満足感がないのか、ずっと探し求めていました。
100%になるまで、ゴツゴツと身体を硬くしてぶつかっていくのはもちろんナンセンスだし、そんなことをするためにスピリチュアルの世界を探求したわけではありません。

今回の流動体の啓示を受けて、強く思ったのは、
流動体のように生きよう」ということです。
現実の物質世界がカチコチだからといって、こっちも固くなってそれらにいちいちぶつかる必要はありません。
流れでありたい。流れであれば、物質世界のカチコチに囚われることはありません。
それは最高の自由です!

ぼくはずっと自由を求めてきて、自由らしさを引き寄せてきましたが、巣の中の自由さに過ぎませんでした。
本当の自由であれば、世界中を飛んでいけます。あらゆる体験ができます。
ぶつからなければ、自分を罰することも、不足を感じることもないでしょう。
自由であれば、形のない豊かさがあふれてくるでしょう。

風のように、水のように、光のように。ときには土のように、火のように。

この世界は自分自身の投影です。
自分を固くすれば、世界も固くなる。動かすのが困難になります。
自分がやわらかく、軽やかな流れになれば、世界もまたやわらかく軽やかな流れになるでしょう。

これが究極のBe Naturalであるように思えました。