自己を愛することが、最も難しく、最も大切なことといわれます。

ぼくは自分の能力や自分自身については自信があり、
そこを愛することは難しくありません。
従って、自己卑下や自己肯定感が低いということがありません。
では、自己愛が充分であるかといえばそうではありませんでした。

自分が愛を受け取ること、
豊かさを受け取ること
変化を受け取ることを許容していないと気づいたときは、
自分を愛し切れていないと知ったものです。
幸せを取り上げてきたのは自分だったとショックだったものです。

自分を愛するというのは、
自分の風貌や自分という存在を慈しみ、許し、大切に思う
ということだけではありません。
もっともっと深遠なのです。

自分自身=自分の体験している世界です。
あなたは世界に自分というものを投影しています。
世界は自分のものだらけです。

ですから、自己愛というとき、実は、自分が体験している世界も愛するということです。
なるほど、スピリチュアルの旅路で、世界の素晴らしさに気づいたなら、
世界は神であふれていると知るでしょう。
そこまでの智慧に達していれば、
世界を愛することもたやすいと感じるでしょう。

いえ、神が調和させている世界は素晴らしいといえるでしょうが、
人間たちの創り出している混沌とした世界、
またあなたが創り出している、不足や悲しみの世界についてはどうでしょうか?

それらも愛することができますか?

自己愛を突き詰めていくと、結局のところ
全的に愛する
ということになるでしょう。

あなたの惨めな暮らし、数々の失敗、鳴かず飛ばずの実績、
そういったものもひっくるめて、許し、愛することができるでしょうか?

自分=世界なのですから、
それらを無視して、自分を愛してるフリをしないでください。

あなたの体験している人生・世界が
一人の人物だと思ってください。
その人物を全的に受け入れ、愛してあげることができますか?

自分のことについては厳しく評価を下げますが、
他人のことについては甘く優しくできるでしょう。
自分自身に対しても、厳しく有罪判決を下し、罰を与えるのではなく、
全てを水に流し、優しく、抱きしめてあげてください。
苦労をねぎらい、よくやったといってあげてください。
充分素晴らしいと褒めてあげてください。

愛を裏切りで返されたことも、
破産の危機に何度も瀕したことも、
誰からも助けてもらえず孤独だったことも、
理想の自分とは異なる黒歴史とみなすのではなく、
大事な隣人のように、共感し、ゆるし、愛してください。

自分を愛するとは、
結局、あなたの過去もゆるすし、
体験している世界もゆるすし、
全的なものなのです。