フランスのデモに見るズレ

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    フランスのデモ行進

    総計300万人を超えるデモが、フランスであり、
    トップの写真のように各国首脳や要人たちが腕を組んで行進するという
    前代未聞の光景まで見えた今回のテロ事件。

    表現の自由って?

    結構、「表現の自由」という言葉が聞こえるのですが、
    実際に表現をしている人はどのくらいいるのでしょうか?

    とにかく「自由」というものを主張したいように見えます。
    それが表現であれ、なんであれ。
    もしくは、イスラム狂信主義の連中への怒りや憎しみの表現手段として、
    表現の自由を語っているようにも見えます。

    風刺画といっても、他者が大事にしている思想を踏みにじり、
    簡潔に言えば悪口をいっているわけです。
    辺り構わず悪口をいうのが、表現の自由だとは思えません。

    宗教間の闘争は、「自分たちが正しい」と思っているところから生じています。
    風刺画も、「自分たちが正しい」「この人たちがおかしい」になっていなかったでしょうか?

    「ナマステ」の精神を大事にしたいものです。
    つまり、他者の信仰を尊重するということです。
    テロという狂気の行動で判断するのではなく、
    テロリストを増幅させている分離と価値判断をもう一度再考したほうがよいと思います。

    許さないって?

    あちこちで、今回のような残虐非道なテロは絶対に「許さない」「許してはならない」
    という表現があるのですが、キリストであれば、「ゆるしなさい」というでしょう。

    許さないという怒りや憎悪が、結局こうした惨劇を繰り返すことになるのです。
    「頬を打たれたら、徹底的に仕返しする」といっているようなもの。

    ゆるすとは、テロがOKという意味ではありません。
    テロを廃絶することを真摯に考えた上で、取るべき行動がゆるしです。

    「戦う」という表現もしばしば聞かれます。
    戦うとは敵対視することで、双方の攻撃のエネルギーを増幅させます。

    つまり、こうした許さない姿勢、戦う姿勢をとることによって、
    もっとテロというものが増えるでしょう。根絶ではなく、力を与えることになってしまうのです。

    つながりたい

    デモ行進の圧倒的な数が物語るように、わたしたちは一体になりたいと思っています。
    人類の精神的な成長だと理解できますし、もう狂気の世界はこりごりだという思いの表れでもあるでしょう。

    ますます繋がりを求め、繋がりとはなんなのかを知るようになるでしょう。
    但し、個人的な主義主張も見え隠れしているし、
    日頃の鬱憤を解放したいという、エネルギーのはけ口になっているだけの人も多そうです。

    こうした世界的な惨劇というのは、わたしたちの集団意識をよく現しています。
    亡くなった12人が引き寄せたのではなく、集団意識によって引き寄せているわけで、
    亡くなった人たちがマイナスの波動を発していたとかではありません。

    何億もの人が、自分たちのこととして、この事件を捉えているのです。
    だから、すごいことなのです。

     

    フランスのデモ行進と引き寄せの法則