エイブラハムと出会ってから数年ぐらいでしょうか、
それなりに波瀾万丈とはいっても、学びを誘発する苦難が続いたりしたくらいで、
ぼくの生活というのはある意味とても自由でした。

  • 基本的に何時に起きても構わないので、昼くらいに起きることが多い。
  • 仕事場と住まいは階が違うだけで同じビルなので、通勤0分。
  • スタジオの運営でお金が入ってくるので、デスクでインターネットサーフィンしていようが、住まいで昼寝していようが、カフェに行ってようが構わない。
  • よく昼過ぎにカフェに行って、パソコンで執筆をし、そのあと東京ドームフィットネスクラブで筋トレをしたり、サウナやジャグジーにつかったりと優雅な暮らし
  • 趣味は買い物。よく週末はファミリーセールに出て行って、質のいいブランドものを安く購入。

ある意味、とても「自由」といえますよね。
自由をこよなく愛していた自分が引き寄せた、なににも縛られない自由です。
この環境は、学びに集中するためにもうってつけでした。
多くの人が仕事の合間などに本を読むと思いますが、ぼくは引き寄せの法則関連の本をいくらでも時間を使って読むことが出来たのですから、学びが早いのも当然なのです。

しかし、学びも3~4年過ぎて、極めてくると、この自由さが嫌になってきました。
退屈に感じるようになってきました。それは、同じような生活が続いているわけですからね。

もっと刺激的な生活がしたいと思うようになってくると、
(こういうとき皮肉な引き寄せが起こるものですが)
震災の影響で、スタジオやアクティングスクールの運営が傾いてきました。
色々と動いたり、考えたりしないといけない環境を引き寄せるのです。

それに、ぼくには劇場を建てるとか、日本の演劇を変革するとき、日本で名だたるスピリチュアルマスターになるという夢があるのに、こんな風に日々自由気ままに過ごしていてもしょうがありません。

その頃から「創造の心」を強く意識するようになってきました。

自ら創造していかないといけない。

そして、自由とは「なにもしなくていい状態」ではなく、「なんでもできる状態」こそ自由だと強く感じました。
好きなことを好きなだけできる状態こそ自由です。
そして、そこを目指しはじめました。

だんだんと周囲の世界が動いてきました。
ぼくの中で、まだ平穏で自由気ままな環境を欲する気持ちが残っていて、
刺激をストレスだと感じるコンフォートゾーンがありますが、
忙しさを許容できるだけ、忙しさはやってきます。

といっても、心を亡くさない忙しさです。

宇宙は、いくらでも無限に与えてくれます。
それを望むならば。
どれぐらい許容できるかによるのです。

学びをきわめて今、いくらでも創造に邁進できます。
本当の自由を求めて、今進んでいるところです。

 

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