人の人生は、どれだけ有名になったか、どれだけお金持ちになったか、どれだけ異性にモテたかで決まるでしょうか?
「そうではない」と否定しながらも、やっぱり人はそれらを求めているのではないでしょうか。
有名人の本を買って学び、お金持ちを羨望の眼差しで見て、モテる人と比較して自分を蔑んでいます。

ほとんどの人の価値観は、
・知名度や権力
・経済的豊かさ
・美貌やルックス
が中心を占めています。
「そんなものには惑わされたりしない」といっている人も、手に入れている人を見たら、「この人は恵まれている、この人は幸せだ、この人は成功している」という風に思うのではないでしょうか?

そして、引き寄せの法則をはじめ、スピリチュアルに群がっている人たちがほしいものとは、上記のものではないでしょうか?
「いや、心の平安がほしいんだ」という人も、結局は自分に権力やお金や美貌があれば、それらは手に入ると思っていないでしょうか?

これまでに、これらを持っていても幸せではないということは話したと思いますが、
今回、いいたいのは、これらを持っている人は結構たくさんいるということです。
どういう意味かというと、ありふれて低俗だということです。

たくさんの徳を積んで、スピリチュアル的に進化した結果、そういうものを手に入れると思いますか?
では、権力を持っている政治家はスピリチュアル的に進化していますか?
金満で威張り散らしている経営者はスピリチュアル的に進化していますか?

確かに、人間ゲームの中では勝ち組です。
けれど、所詮人間ゲームの中であり、これとスピリチュアル的な成熟度は別な話です
とはいえ、人間ゲームから脱したスピリチュアルマスターは、自由な創造のなかで、それらの豊かさを満喫するでしょう。清貧こそがスピリチュアルということはありません。

よく見渡してみればわかるように、お金持ちの人も権力を持っている人も美男美女もウジャウジャいます。勝ち組と負け組が1:9の割合だと仮定するならば、勝ち組は1000万人以上いるということになります。マスターの数と比べれば圧倒的多数です。
だから、こんなによくある人たちの仲間入りをするために、スピリチュアルの道を歩むのはおかしいと気づいてください。スピリチュアルと関係なく、多くの人が手に入れられてしまうのです。

人間には7つのシールがあります。それはチャクラのようなものです。
一番下の第1シールは、性欲であり、異性を手に入れてSEXするためのエネルギーであり、子孫繁栄や種の保存の目的としてもあります。異性にモテたいとか、愛がほしいと願っている人は第1シールに集中しています。第1シールにパワーが集中している人は、異性にモテたり、肉体関係を持つ相手に恵まれたり、不倫したり、性犯罪を犯したり、そうした人たちです。

下から2番目の第2シールは犠牲者意識や健康に関するエネルギーで、ここに集中していると罪悪感が強かったり、よく病気を引き起こしたりします。それ故に、愛に飢えています。

3番目の第3シールは支配欲や金欲に関するエネルギーです。人の上に立ちたい、支配したい、大金持ちになって優越感に浸りたい、自分を偉いと感じていたい、そんな人たちがここです。

第1~3シールは、とても人間的なエネルギースポットですので、むしろスピリチュアル的に成熟していない人のほうが活性化できています。成熟していくと、上の第4~7シールのほうに向かうので、逆にお金や権力や異性が手に入らなくなるでしょう。

つまり、第1~3シールに依拠する権力やお金や性は、とても人間的でありふれたエネルギーの創造に過ぎないので、それらを是が非でも求める必要はないということです。余計に悟りを遅らせてしまうことになります。
また、高次の第4~7シールが開きつつあるのに、本人の意識が1~3ばかりにいっていると、おそらく引っ張り合いが起こって、エネルギー的にもよくありません。

どうしても、お金もない、誰にも認められない、愛されない、などの苦しみからそれらを得ることこそ最終目標だと感じがちですが、そんなに特別なものでもないですし、手に入れている彼らは幸せでもありません。
権力のある人やお金持ちは横柄になり、他人を軽視し、自分の地位を脅かすものを攻撃します。
若さや美貌は長続きせず、異性からの愛やアプローチを受けるために必死に闘うことになります。

たいして幸せでもないし、たいして特別でもありません。
そのことを理解すれば、人間マインドの執着を緩めることができるでしょう。