さらば人間

今日は終戦記念日ですね。
家が靖国神社からそう遠くないので、少しだけ立ち寄ってきました。
多くの人が暑いなか、並んでいました。

靖国神社人類史上最悪の殺戮兵器によって多くの命が奪われ、終戦となりました。
二度と繰り返してはいけないし、戦争自体をもう過去の遺物にしないといけません。
戦争をしていたのは、神の子の人間の部分、つまりエゴの部分ですので、許し合わなくてはいけません。罪も過去の遺物にすべきです。

この夏の真っ只中で、終戦記念日ということに、ぼく個人は象徴的な意味を感じています。
ぼくにとっては人間としての戦いの歴史に終止符を打ち、神なる人間として生きていくという意味で、終戦記念日にしたいと思います。

蝶

先日、ぼくの自転車のカゴに蝶が止まっていました。全然動きません。
最初はスマホで撮影して、次に一眼を持ってきて撮影しました。
すると羽を開いていたのですが、よく見たら羽が欠けていました。

悟りは羽化に例えられます。芋虫から蛹になり、蝶へと変身するように、
人間はDNAも含めて大きく変わっていきます。
蛹の時期というのもあり、とても静かな時期があります。
コロナの時期、多くの人が蛹の時期を迎えています。

蝶になってしまえば、芋虫の時代のことは忘れてしまいます。
芋虫時代には想像できなかったことができるようになります。
大いなる自由と可能性の空が待っています。

芋虫時代の人生は全て過去の遺物になります。
だから、今の人生や生活に囚われる必要はありません。

あなたがどんな人生の状況にいようと、どんな時代、どんな現実世界にいようと、
全く関係なく等しく神の力を使うことが出来ます。
どんな罪を犯していても、どんな過去世を送ってきたとしても、関係ありません。
どの地点にいようと、等しく使える無限の神の力があります。

人間にどっぷり使ったまま、神に祈っても、神の力はなかなか奇跡をもたらすことができません。
しかし、人間を卒業し、神なる人間となれば、奇跡は普通のものとなります。
そして、奇跡に難易度はありません。

一人ひとりの終戦記念日があります。
そのときを迎えるときがいつかやってきます。