自分に対するイメージ、それに「こうあるべきだ」という理想のイメージを持っていると思いますが、
それらイメージはイメージに過ぎません。
そうしたイメージが自己愛や成長に繋がることもありますが、イメージは制限でもあります。

特にスピリチュアルな道を学んできた人は、理想のイメージに囚われがちで、
大抵理想と現実のギャップに悩んだり、理想のイメージに対する妄想が強くなったりします。

そうしたイメージを持っているからこそ、個人的な行動や生き方はかなり特徴が出ます。
考え方や善悪判断に影響していて、強力かつ常駐する波動を放っています。

でもそれって、結局エゴなわけです。
スピリチュアルの理想のイメージが、内なる自己を現しているかというとそうでもなく、
スピリチュアルなエゴを追い求めているに過ぎなかったりします。
スピリチュアル指導者など一見立派に見えて、その実、強力なエゴの権化だったりします。

なんでもやればいいと思いますね。
自己の範疇、理想のイメージの範疇にとどまる必要はありません。
これまでやらなかったことも、もっとやってみるといいのではないでしょうか?

同じような人生の繰り返しで、死ぬほど退屈感を感じるくらいなら、
いっそ低俗なことでもいいから、手を出してみたらいいのではないでしょうか。
結局生きることがスピリチュアルです。

ラムサは「未知を既知にすることが人生」だといっています。
肉体を使ってまだ体験していないことを体験して、「知る」ということが大切だと語っています。
波動上では実現していることも、魂を持つ肉体として、人間という形態でそれらを体験することが地球での人生なのです。

せっかく史上最も変化している時代を生きているのです。
せっかく日本という国に生まれ、生半可ではない時代を生きているのです。
やれることはたくさんあり、神はそれらを与えてくれます。

アダマスだったかトバイアスだったか、イェシュア(キリスト)もセックスをしていたし、マスターベーションをしていたという話をしていて、ある意味ショッキングなのですが、それは人間であることを愛し、自分の身体を愛しているからこそ、自分に喜びを与えたのだと聞くと、なるほどそうだよなぁと思うのです。

第1から第3シールの話もしましたが、7つのシールの人間的な3つを消す必要はないですし、それは無理な話です。1から3に偏ってそれだけになるというのは避け、7つ全てをバランス良く活性化できれば素晴らしいことです。

自分に喜びを与えるのをゆるしましょう。
自分に愛を与えるのをゆるしましょう。
自分に未知なる体験を与えるのをゆるしましょう。
自分に肉体を使って生きることをゆるしましょう。