究極の引き寄せとは、打ち消しの心であり、エゴを全否定し、
自分と世界を全許容することです。

自分でなんとかしようとすればするほど、神が与えてくれるものを否定し、
引き寄せるものを限定化させます。そして、古びたものや価値のないもの、
苦痛や苦悩をもたらすものを引き寄せます。
それらを脱するために、がんばってがんばって、賢くなろうとして、うまくやろうとします。
そうした努力を続けていっても、いつまでも最上の安心と幸福には辿り着かないのです。
人は束の間の幸せのために闘争し、多くの人は疲れ果てています。

「なにもしない」を実践することは、打ち消しの心のなかでも最も難しいことです。
どうあっても色々なことをしています。
過去を憂い、未来に備え、計画し、努力し、そうした人間的なことから離れていかないと
究極の引き寄せは達成できません。

具体的には、
①計画することをやめる
②努力することをやめる
③解決しようとすることをやめる
④自分との闘いをやめる
⑤特定の結果への期待をやめる
⑥価値判断をやめる

こうしたことが挙げられます。

どれ一つとってみても、困難なことであり、ものによっては、なぜそれをやめるべきなのか
まったく理解すらできないでしょう。理解できないことは実践できません。
理解出来なのであれば、まずはよく知ることです。受け入れの心の段階です。

わたしたちは、自由意志の権利をもっており、好きなように創造することができるため、
大いなる神の贈り物から離れて、そうした贈り物が入ってくるのを邪魔しています。
幸せに抵抗しています。
このことは、なかなか理解できないでしょぅ。
理解できるようになったなら、あなたはかなり順調に進んでいます。

さて、「やめる」ということをしていっても、なにかしたがるものです。
無意識的な習慣になってしまっていますが、本当に多くのことをしたがります。
「なにもしない」という状態の美しさを感じてみましょう。
しばらくの間、それでも、人間的な嫌なことや面倒くさいこと、ドロドロしたことが流れ込んできます。
まぁ、暇つぶしくらいに思っておけば構いません。

「なにもしない」とは、自らなにもしないということであり、
流れ込んできたことに対しては、それらを行動で味わって構いません。
要は、幸せや成功のために、自分の力で計画し、奮闘し、切り開こうと努力する必要はないといっているのです。
与えられるものに感謝しましょう。
徐々に人間的なものが消えていき、完璧さや奇跡が流れ込んでくることに期待しましょう。
どんな結果であっても受け入れましょう。

恐れは、様々な人間的な行為を駆り立て、「やめる」ことを不可能にします。
恐れは闇のヴェールを発生させ、光が入り込まないようにします。

何も恐れず、何もする必要がない、
というのがどれだけ異常なことに感じるか、ぼくもわかっていますが、
悟りの道とはそういうものなのです。