表題の通り、
自分にとって意味がなかったことが、他人にとって意味があることになる場合があります。
翻って、自分にとっては違う意味付けがされます。
昨日、光ファイバーの設置工事の調査で、提供会社の人と、工事の人が来ていました。
光ファイバーで一本化すると、請求書がまとまるし、料金も安くなり、
しかも電話番号も増やせるということで、お願いしたのですが、
結局調べてみて、建物の構造上光ファイバーを引けないという話でした。
とんだ無駄骨です。
自分にとって、意味がなかったことですが、
提供会社の女性の方が、チラシラックに置かれていた引き寄せの法則のチラシを見て、
「最近友達から引き寄せの法則を聞いて、ザ・シークレットを薦められた」
という話になりました。
そのことがきっかけで、ぼくは引き寄せの法則の専門家ですよという話になり、
ザ・シークレットよりエイブラハムの本の方がいいですよと薦めました。
その場でメモをとってらしたので、たぶんエイブラハムの本を読まれると思います。
「人生を変えたい」とおっしゃっていたので、
もしかしたら、これがきっかけで、人生が変革し、どんどん良くなっていくかもしれません。
そのときに、この光ファイバーの設置調査の件は、
ぼくにとって意味があるのではなく、
彼女にとって意味のある引き寄せだったのかなと思いました。
そのために宇宙がアレンジして整えたのかもしれません。
本当は、調査の訪問は半月くらい前の予定だったのですが、
たまたまぼくの都合が悪くなって、予定変更しました。
彼女は仕事を始めて一ヶ月ほどといっていたので、
その前であれば来ていなかったかもしれませんし。
どういう風に宇宙がアレンジしているのか、
演出の見えざる手に、時に驚かされます。