トランプ大統領がキリストのように手かざしで治癒したり、仲良く並んでいたり、
そんなAI画像を投稿していましたね。
「トランプはキリストなのか?」→そんなことはありません。
人類のエゴを集約させたような存在です。お金のエゴ、権力のエゴ、戦いのエゴ、他者を受け入れないエゴ、正当化のエゴ、様々なエゴの姿が彼からは見て取れます。
人類のエゴの鏡であり、集合エネルギーでもあります。
彼が世界から消えるとき(それは表舞台から姿を消すのか、死なのかはわかりませんが)、人類は大きなエゴを克服した新しいステージとなるでしょう。
そして、リンクしているのが、地政学的な古いエネルギーの問題です。ウクライナロシア戦争や中東、古いエゴの礎が築かれた場所にトランプは首を突っ込みます。エゴとエゴが引き寄せ合うのです。
さて、エドガー・ケイシーは、リーディングの中でイエス・キリストについても語りました。
それによると、アダムであったときに、神から離れて物質世界を経験する旅が始まり、
エノクであったときに神を思い出し、メルキゼデクのときに、人々に与えることや交流することをし、ヨセフのときにゆるしを実行した、と。彼は父を知り、善悪という二元性を知り、人との交流のなかで他者へのゆるしを知りました。そしてイエスの時代に、彼は父と一体であることを知りました。
イェシュアの教えである要素を、彼自身も魂の転生を通して体験していったことがわかります。
ぼくとしては、イェシュアが転生を通して知っていったことが、自分の人生にも組み込まれていたのが感銘でした。そして一つの人生だけで、イェシュアの道のりを歩んでいる、ぼくを含め多くのマスターたちについて思いをはせました。これはとんでもないことです。
そして現代のマスターたちは、その先に進もうとしています。イェシュアや釈迦は、悟りの後に人を導き教えを説くことに費やしましたが、現代では教える人やツールはたくさんあり、必ずしも必要な存在ではありません。手本にはなりますが、人々を導く使命はありません。わたしたちは自由に神と一体となった人生を歩める時代になっているのです。ですから、現代のマスターの今後のテーマは、真の創造なのです。
イェシュアが魂の道のりのなかで経験していったことが、自分の魂にとっても課題であったなら、もうそれは達成できているのです。有名になることや、お金持ちになることは、人間サイドの夢や課題ですが、魂からすればそれは遊びのほうです。寄り道のほうです。
ぼくは魂サイドと人間サイドに挟まれて苦しんできました。しかし、イェシュアほどの存在が歩んできたテーマは本当に重要であり、それと比べれば人間的テーマはどうでもいいことです。そこで嘆いたり、もがいたり、挫折したり、というのはあまり意味を成しません。遊びに夢中になりすぎだったのです。
ぼくはエドガー・ケイシーのこの話に触れたときに、「ああ、もう大事なことは終わっているんだ。なんだかんだ一つの人生でここまでやってきたんだ。それならいいじゃないか」と思えました。いまだに、人間サイドから欠乏や不満を感じることがありますが、それは遊びの名残であり、幻想なのです。
確かに、悟りの結果を物質的な結果として証明してくれなければ、実感がほとんどないものなので、ふと人間サイドの考えに浸りそうになりますが、もう終わったことだ、これからはイェシュアや釈迦すらもできなかった自由な創造と表現の時代なのだ、とケイシーの話でほっと息をつくことができました。