わたしたちは皆それぞれ、自分という存在を証明しようと、
自分という存在が価値があるものであり、特別なものであると確認しようとしています。
その闘いに敗れた人は無力感にさいなまれ、誰か他の人を嫉妬したり、応援したりします。

物質を手に入れることに躍起になり、それらを集め、誇り、
人と違う面を際立たせ、それらを示し、誇り、
それらが出来ない人は劣等感にさいなまれ、社会の責任にしたり、他の弱者を攻撃します。

もう、そんなことから手を引く気はないでしょうか?
それは、あなたが頑張って取り組んできた夢や願望から撤退することを意味するかもしれません。
無意味なものであれば、取り組み続ける価値はないからです。

 

自分の証明にならなくても、自分の存在と力を他のために役立てたいと思うでしょうか?
それがYESであるなら、あなたはエゴの闘争からも逃れることができ、
安らぎの中で、自分の能力を生かすことができるようになります。

この物質世界の狂った部分に付き合って、適応し、うまく立ち回ることが成功者だとみられますが、
それは狂人の演技が上手だということです。

社会の基準は成功者たちによってつくられ、正しい感性を持っている人は失敗者の烙印を押されがちです。
それに付き合い続ける必要はありません。

現実世界から手を引くことが、神と一体化する条件になります。
神は人間がつくった世界の住人ではないからです。
現実世界は夢のなかの戦場であり、神は夢から覚めたとき、
「あ、ずっとそばにいたのですね」と気づく存在です。
そして、神とは真の自己なのです。