長らく静かすぎる時を過ごしてきました。
このままだと腐ってしまいそうだと、思ったとき、
自分には魂もあるし、自己のマインドもあるし、身体もあるし、世界と人生もあるし、技術や技能や知識もあるし、途方もないものが自分にはあるのだと感じると、生きないと勿体ないと思いました。
悟りに達すると、見えない世界に移行してしまう人も結構いますが、
この現実世界で生きることがとても大切だと思っています。

「愛のコース」第三部に書いていましたが、
全てを望む、全てを手に入れる、全てを体験する」という思考でいいのです。
神があらゆるもものを与えてくれるなか、それらを受け取り、体験することに全力を注げばいいのです。

古いものも見えるし、体験されます。
なんというか、テンプレが今でも作用しているところがあります。
それによって感情が反応し、世界に投影し、また舞い戻ってきてしまいます。

感情というのは恐ろしいもので、愛から恐れまでのグラデーションの中で、
様々なドラマをつくります。
不足感、焦り、絶望、後悔、そういった繰り返したくないドラマであっても、
感情として感じていると、世界に投影され、ブーメランのように戻ってきて、また体験されます。
愛だけになれば、それらの投影はなくなるでしょうが、古くからのテンプレートは、
ドラマを再現しようとします。

そうすると、静かな期間を過ごし、執着をとり、マインドの波動を沈静化し、
愛を受け入れる姿勢をつくっていくのですが、それも長いと、
マインドは退屈して、またドラマを探すようになります。
なにかしら感情体験がしたいと、エネルギーを溜めていきます。
そしてブラックホールのようにエネルギーを吸い込む出来事が発生します。

今ぼくがやりたいのは、昔ながらの感情ドラマではなく、
素晴らしき神が具現化する世界を真の自己と共に生きるということです。
マインドも身体も、スピリットも、一体となって、新時代を生きるということです。
愛を延長し、奇跡を体験し、喜びで満たされるということです。