夢の世界は、現実世界とかなり変わっていますよね。
夢では、ありえないことも普通に起こるし、そもそも自己の自覚も曖昧です。
これは脳から切り離されているからでしょうね。
起きていて、現実を生きているときには、記憶のデータを参照し、素早く正確に脳のコンピューターが動きますが、眠っているときはそうではないのです。

現実世界を生きているときは、脳のデータや機能が、生活を送る上でうまく働いてくれますが、同時に厄介な引き寄せも行い続けています。不幸や悲劇を何度も繰り返し、不足感や無力感を投影しているのは、人間マインドであり、脳のデータと機能です。

これが夢見の際には、停止しているので、もし夢見の状態(ドリームステート)を目覚めているときにもできたら、人生の投影はがらりと変わるのではないでしょうか
ドリームステートでは、過去のデータをほとんど参照しないので、現実世界でもあまり囚われない生き方になるでしょう。

とはいえ、起きていると、とても素早く、巧妙に脳が機能しているのがわかります。すぐに現実世界に適応し、埋没していきます。意識的に曖昧なフォーカスにしないと、囚われてしまいます。
ドリームステートを現実世界でも応用すると、囚われがなくなって、気分が楽になるのがわかります。

神のマインド、つまり真の自己の意識はどのように働いているのでしょうか?
わたしたちの人生の創造に関わっている内なる意識は、現実世界でも、夢見の世界でも発見することはできません。もっと深い層にありそうです。
稀に一時的に、内なる意識の層に、通常意識が辿り着くと、えもいわれぬ無我の境地や、涅槃の境地、体外離脱の感覚を得るといわれます。これは一瞥ともいわれ、悟りのきっかけになることがありますが、残念ながら一時的で、その感覚は徐々に消えていきます。

この深い、内なる意識は、見えなくてもいいし、肌で感じられなくてもいいでしょう。深奥で活発に活動していて、通常意識が操作できるものでもありません。わたしたちにできることは、通常意識で余計な投影を行って、人生をめちゃくちゃにしないことです。

ドリームステートは偉大なる忘却です。脳に蓄えられて、自己の意識にねっとりと絡みつくデータ群を忘れたいのです。それらを捨て去りたいのです。自分というアイデンティティーの集合体を、夢の時のように曖昧にしたいのです。
そのためには夢の時の感覚を、現実世界にも取り入れてみましょう。夢の感覚はヒントになります。