4月8日誕生日を迎え48歳となりました。
48並びです。
単なる数字以上の思いをぼくは感じます。ここがターニングポイントのような。
3/22はHeaven’s Crossで、地球規模・人類規模のターニングポイントだといわれていますが、魂が見えない世界で大仕事をやり遂げたのであれば、個人的にもターニングポイントです。

ぼくはまぁ、本を3冊出版したり、戯曲や論文で賞を獲ったり、
自由な暮らしをしてきたり、夢だった劇場を持ったり、
演劇と教育を融合させた全く新しいビジネスを展開したり、
アメリカで演技を教えたり、研修講師をやったり、
色々してきたので、多少すごい人だと思われる場合もありますが、
ぼくからすれば、制限だらけで、矮小で、不足感を拭い去ることができませんでした。
まるで分厚い鉄のカプセルに入れられているようで、
だからこそ、打開するためにあらゆる学びと実践をし続けてきました。
まぁ、それが制限をつくったりもするのですが。

人間側でできることは全部やったと思います。
目覚め、知り、解除し、洗い流し、受け入れ、
あらゆることをやりました。やらないこともやりましたし、忘れることもやりました。

Heaven’s Cross関連で、ちょっとショックだったのは、
魂がRealm Workerとして、向こうの世界でずっと忙しかった、という情報です。

悟りに関しては、例外なく残酷で、あらゆるものを失うともいわれます。
悟りの邪魔になるものは、遠ざけられるというのも理に適っています。
人間はマインドを使いすぎていて、マインドの隙ない働きによって、
内なる目覚めは妨げられます。

もし会社が大きくなったら、業績や社員のこと、顧客のことなど、絶えず考えていないといけません。
もし結婚していたら、パートナーにかなり時間を注がないといけませんし、子どもがいたら、もっと時間を注がないといけません。
ビジネスの成功と結婚は、独りの時間のほとんどを奪うことになるでしょう。
ですから、そうしたことが遠ざけられるというのもよくわかります。

ぼくはビジネスを色々していますが、はっきりいって雑ですね。とってもマイペース。
子どもの教育の事業にも携わっていますが、もし自分に子どもがいて、子どものためにどこかに遊びに行ったり、観たくもない映画を観たりしないといけないなら、たぶんかなりの苦痛です。
だから子どもが好きでやっているというわけではありません。

そもそもビジネスの成功も、結婚や子育ても、あまり願望はありませんでした。
独りで好きなようにしたいという感じです。
だからそこは魂の意図、真の自己の意図とのズレはあまりなかったのですが、
有名になりたいとか、金持ちになりたいというのは結構あったので、そこは納得がいきませんでした。

アダマスがクリスタルに10万年閉じ込められたとかそういう話をしますけど、
ただただ閉ざされて、自己にしか集中できないようにさせられているような感じでした。
お金や人はあまり寄りつかなかったです。
そうした現象は以前からありましたけどコロナから顕著になりました。

終わるときを待っていました。

もっとこの人間としての人生を楽しみたいし、世界の豊かさを体験したいと思っていました。
人類のため、世界のために、Realm Workerとして仕事をしてきて、それが終わったというなら、
もう鉄のカプセルから解放されて、自由に、無限に、神なる人間として生きたいものです。

釈迦の誕生日である4月8日。
そして48才。
何百回か、千何回かわからない生涯。
とてもとても長い年月をかけた気がします。

終わってみたら、あのときできなかったのが不思議に思えるものです。
どうして制限があったのか、どうして不足感を感じていたのか、
どうしてお金や人が遠ざけられたのか、どうして打ち消すのにこんなに苦労したのか、
いろんなことが不思議な気持ちで振り返られるでしょう。

本当になにもかもが終わったのか、
そのことを知るのはもう少し先になるでしょうが、
過去とは違うことは実感しています。