2022年を振り返る

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せっかくなので一年を軽く振り返ってみましょう。
これまでで最もなにもしなかった一年だという認識です。
いつもなにかをしていないと、追いかけていないといけなかった昔。
悟りに達してからは、それを深めていく静かな時間ばかり。
一方では、とんでもなく退屈だし、なにかをしたい衝動も出てこず、変わらない毎日。
昔は、変わらないのが本当に嫌だったけれど、エゴとともに追いかけなくなりました。
しかし、創造意欲も乏しく、なにもしたくないという時間が長く、
若干宙ぶらりんの感じもしています。

ノートを見返しながら、自分的に重要な気づきだったものを挙げてみましょう。


2月
古い重荷を背負いながらは変えられない。過去生からずっと続けている。
やめるだけ。貧乏も無名さも老化も、そういったものはやめるだけ。
思考の粒子の発見。過去からの蓄積で、相当ネガティブで制限のある思考がマインドに入っていて、それらが現実に反応することで、態度となり、創造となる。思考の反応を止め、過去から解放されるべき。

3月
マインドのなかから過去が撤退すれば、平和と繁栄が訪れる。
思考の反応が人生を邪魔しており、その思考は過去によって作られ、常駐している。
それは設定のようなもの。毎日設定を引き継いでいる。それらをやめる。
崇高なマインドが前面に出ているべきだ。
「私」+アスペクトではなく、「私」+アイアム。

4月
すべきことも、探すことも、手に入れることも必要ない世界を味わおう。これがあるがまま。
人間の幻を愛すのは卒業し、神と「私」とその全てを愛そう。自分なるもの全てを愛そう。

5月
Passionとは創造の意志と意欲だと思うが、それが今はない。なんでも変えられるとして、なにを望むだろうか。なにを地球のキャンバスに描きたいと思うだろうか?
人間であることとマスターであることの違いとは。
人間の衣のなかにあるピュアで躍動する光が世界に向かっていく。オープンなマインドとハートで、あらゆる全ての瞬間、全ての行動、全ての世界との接触が、神であり、自分自身との交流だ。そのエネルギーは常に新しく、喜びを与える。

6月
私は全てであり、全ては今ここに存在し、永遠の今にある。
世界に広く出て、経験を始めるのはいつになるのか? もう全てを知った。あらゆることをやった。

7月
「今」とは、夢が続いていて、創造が続いていて、常に何かができる、与えられているstate of being。そこにドラマを創作している人間たち。ずっと自分であり、自分のための体験世界。自分のアイデンティティも創作のなかの設定に過ぎない。自分の「私」と光の粒子との関係性だけ。
「なにもしない」というのは目覚めるまではいい。創作の没頭から抜け出して目覚めるためには。目覚めてしまえば、なにもしないは意味がなくなる。
「永遠・与えられ・体験する」だから、なにも抑制したり小さくする必要はない。全て夢であり、実現可能という権利をもっている。当然やる。なにもかも当然。それが神の偉大な愛だ。この権利は当然で、永久保証だ。夢を歩く肉体があるのも偉大で素晴らしい。かくしてこれが自由だ、創造だ、愛だ。
私の光は、自己の生涯と身体を癒やし、魂が宿った過去生たちを癒やし、全世界へと光を放射する。偉大なる究極の仕事のために、今この人生を生きている。

8月
自分だけではなく人生も世界も最高で素晴らしいと認識しているとき、神との間に境界線はない。自分に対して、矮小な詐欺や虚偽を強いてきた。自分を愛し、ゆるすのではなく、有罪判決をして苦しめてきた。
誰と何と闘ってきたのか。自分を認めるだけだった。自分だけだった。自分しかない。
ずっと考え、悩み、もがき、闘い続け、答えを見つけようとしてきた。それらは自分と外の世界との間に真実を見つけ、目覚め、マスターすることだったが、自分だけが唯一となったら、外の世界との調整もいらないし、疑問や問題もなくなる。悲嘆も不足もなくなる。自己完結してしまう。この自己完結している感じが究極の境地だ。
全的にゆるす、愛す。ということが大切な鍵だった。
なにも修正することも、考えることも、壊すこともなく、そのまんまあるがままの世界で神の王国。
全く問題のない世界には疑いも不安も入れない。キリスト意識の円の中だ。全く問題のない世界を生き、神の当然さのなかで生きることを選ぶ。

9月
ハンモックのような乗り物のようなものが目の前に見えている。それは与えられたものを受け取ることを選択し、マインドで生きるのではなく、神なるマインドとハートで生きるということだ。
完全なる実現までに無限に使ってきた時間。この身体はよみがえりを待っている。これからの時間を、古いものを引きずり、マインドに邪魔される苦悩の時間にするのではなく、まったく新しい、軽くて光り輝く体験の時間にするのだ。過去はなく、未来は気にしない、開けている時間。喜びは頭でするものではない。しかし、喜びは選択された自然の状態だ。


 

ノートにはもっとたくさんのことが書いてあり、ほんの一部の抜粋ですが。
たぶん、読んでもよくわからないことでしょう。

今いる究極の境地は言葉でも非常に説明しづらいです。
言葉にすることはできますけど、アセンデッドマスターたちがずっといっていることをなぞるだけになります。到達していないと真に理解することはできません。

元々、完璧に調和していて、素晴らしく多次元的に機能しているんですよ。この宇宙は。
人間はそこにたくさん創作ドラマを置いて、二元的多様性を置いて、いじくり回していて、ちっとも神というものが見えていないし、理解できていません。
悟りも神も常にありますし、見えておらず、阻害し、自分たちの思うもので埋め尽くしているだけです。

今、ぼくはあまりメッセージを発することにも前向きではありません。
所詮、夢幻のなかに投下しているだけですから。
スピリチュアル界なんて夢幻の最たるものです。せっかくマスターが真実を伝えたところで、その真実からたくさんの歪んだ創作物をつくるんですから。
私であるこの世界と広大なレベルで交流したいという思いもありますが、かといって意欲や衝動や使命感などありません。

ちょっと2023年どんな活動をするのかわからないです。
もっともっとメッセージを発信したり、セミナーなどもやるかもしれないですし、本当になにもしないかもしませんね。
Youtubeも、自分の気づきや発見をアウトプットしたいという意欲から、撮ってきましたけど、もうクリアになりすぎてそういったものもないんですよね。改めて整理して教えるとかならできますけど、目の前にニーズを感じないと、あえてはしないでしょう。教えてほしい、助けてほしいという人がいればもちろん手を差し伸べます。

振り返りという振り返りでもなかったですね。
2023年に進んでいきましょう。