ご当地アイドルだった愛の葉(えのは)ガールズの大本萌景(ほのか)さんの自殺についてワイドショーで取り上げられています。ぼくも、愛媛県松山市に中3~高3まで住んでいましたし、芸能界の闇については比較的よく知っている立場なので、胸を痛めました。

松本人志が「死んだら負けやってことをもっといわないかん」とワイドショーで熱く語っていました。
それが多少物議を醸しているそうです。
松本人志なりの考えで主張しているだけであって、人それぞれ考えがあってよいのですが、やはり生きてきた価値観が考えをつくるもの。芸能界という超競争社会で勝ってきた人物と、本当に苦しんでいる人とではギャップがあるのも当然です。

ぼくは「負け」という言葉が、実に日本の競争社会を現しているなと思います。
勝負なんですよね。競争なんです。その価値観から逃れられないわけです。
今でこそ、そんな競争心に疲れて、日本は安定や安心を求める風潮が強くなっています。
それによって、経済では中国やシンガポールなどに押されて、日本は衰退してきています。

競争社会で戦ってきて勝ち組である松本人志的には、勝ち組・負け組(もう古い言葉ですが)があるのも仕方がないけれど、死という最終的な場では絶対に負けてはいけないという思いなのでしょう。つまり、最後の淵まで勝ちか負けかということです。

 

勝ち負けや競争というものは、人間がつくりだしたものです。それは、産業や科学技術の発展など人類に寄与しましたが、一方では分離を強くし、歪みを増長させました。神の子である人間が、奪い合いや殺し合いをしたりするのですから、異常な光景が広がっているわけです。

それは疲れるのも当然だし、徒労感・無力感・無意味感・絶望感らに駆られるのも当然といえます。そういうわけでBe Natural(自然に在れ)は今でこそ必要な言葉です。

しかし、こうした社会からドロップアウトし、会社を辞めたり、引きこもったり、自殺したり、農村に移住したり、ネットの世界に依存したりという行為は、結局幸せにはなっていないというのがほとんどではないでしょうか?
不幸せなこの社会にNOをつきつけ、選択した行動なのに依然不幸せなのです。
であれば、なにかが間違っているのです。そこに本当の幸せを見いだせていないのです。

Be Naturalは逃避でも、降伏でもありません。競争から離れることイコール逃避や降伏ではないのです。
本当の幸せは別のところにあります。それは、ソースとの調和であり、神の子としての生き方であり、愛ある生き方であり、エゴを無力化させた生き方です。

真実の世界に競争などありません。多様性はあっても、奪い合いはなく、分かち合いが行われています。この世界のおかしさに気づいている人はたくさんいますが、目覚め方がわからないのです。パワハラ問題や自殺など、社会現象として多くの人の価値観を揺さぶりますが、真実を教えてくれ、目覚め方を教えてくれる人はなかなか見当たりません。時代はこうした人を必要としていくでしょう。

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