桜が咲く度にその生命力に驚かされます。
隅から隅まで、エネルギーが届き、これだけの無数の花を咲かせるって信じられないほどです。
このようにわたしたちの肉体も隅から隅まで、エネルギーが行き交っていることを忘れてはなりません。
桜は一年間貯めたエネルギーを使って、花を咲かせます。
そして、惜しむこともなく、花を散らせ、緑の葉を出して夏に備えます。
まったく執着がありません。
雨や風によって、すぐに散ってしまう年もあります。
いい天気に恵まれて、長く咲かせる年もあります。
しかし、桜は、早く散ろうが、長く咲こうが、一向に気にしません。
「せっかくの花を散らせやがって、このバカヤロー」とはいいません。
誰のせいにもしないし、残しておこうとも思わないし、鮮やかに潔く散らせます。
人は、長く残るものに価値を置きますが、自然界にはその価値観はありません。
実際には全て変化していて、全て異なっています。
人はまた、他の人が達成困難なこと、人と違うことを称賛するものです。
桜の木の無数の花の中に、もし黄色い花や青い花があったらどうでしょう?
人間界であれば、人と違うと称賛されます。この人は天才だ、この人は特別だ、となるでしょう。
しかし、桜の木からすれば、もしそんな花があってもどうでもいいこと。
その花だけが優れているわけでもないし、特別なわけではありません。
人間は価値観の生き物であり、その価値観は社会がほとんどを築いています。
自然界を見れば、人間の価値観との違いを感じます。
人間界の価値観を正しいと思う必要はありませんし、その価値観で幸せを定義しなくても構いません。
人間界であれば、長く残り、周りと違うことが素晴らしいとされますが、
自然界であれば、どうでもよく、そもそも永遠のサイクルのなか、無限の多様性が存在しているだけです。