壁の消滅と神との融合

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御蔵戸

幻を消すためにどれだけ長い年月をかけたでしょう
実在しないけれど存在する幻
トリッキーなのは、幻といいながら、現実世界と数分も違わないところです。
奇跡のコースで学んだ人は現世の幻が消えると思っているかもしれません。
地上の天国はまったく別の世界だと。
けど実際は、現実世界そのままです。
しかし、体験する世界としては、全く異なります。
恐れ、不安、不足、狂気は現実感をなくし、他人の映画のようになります。

徹底的に、長年にわたり、自己と向き合い、
エゴを教育し、瓦解し、作り直してきました。
それでも、幻は幻のままです。

降参し、委ね、幻が消えることを願いました。
それでも幻は幻のままです。

苦しみ、傷つき、途方に暮れ、助けのない自己を抱きしめ、慰めることのできる人は誰でしょうか?
自分自身しかいません。
灰になっても消えることのできない自分を抱き起こし、抱きしめたのは自分自身でした。

奇跡は、自分を全的にゆるしたとき起こりました。
矮小な自分、傷ついた自分、変えられない自分、惨めな自分を
全的にゆるそうとしたとき、灰になった自分を抱きしめたのと同じように抱きしめる存在がいました
それはやはり自分でした。

この抱きしめる自分とはマスターである神なる自分であり、
人間である自分の融合体といえるでしょうか。
アイアム、神なる自分……真の自己は、一度もゆるさなかったことはなく、
永遠にゆるしていて、抱きしめようとしていたでしょう。
けれど人間である自分がゆるしきらないと、融合はできないのでしょう

全的にゆるすとは、
矮小な自分、傷ついた自分、変えられない自分、惨めな自分に対しても
幻だと認識しつつ、現実にそうであることを包んで愛します。
そう、幻、偽り、詐欺だと認識しているのですが、
愛をもって包んであげる必要があるのです。

あなたの罪、無力さ、矮小さ、
それらを幻だと嘯いていても変わりません
真実を言えば幻ですが、現実化しているその姿を全部ゆるさなければ
幻として消えていかないのです。
人は幻に幻を重ねるゲームを繰り返しています。
人は脱出不可能なゲームを続けています。

悟りの目覚めのあと、
目覚めだけでは融合は起こっていません
融合、神との一体化、真の自己との共創造のためには、
もう少し進んでいかなくてはいけません。

融合というものは、実に感覚的に難しいものです
達成できているのか、できていないのかわからないものです
しかし、達成しているなら、それはわかるでしょう。
融合するほどに違いが明確になります。

融合できないということは壁があるということです
「奇跡のコース」ではギャップといったり、ヴェールといったりしています
長年悟りの道を歩んできたぼくでも
その壁の実体を見抜くことはできていませんでした。
壁があることを体験的に理解していても、どこにあり、どのように消すのか見当つきませんでした。

この壁の実体に気づけないまま、
神の世界と人間の世界とが二分されていました。
そして、壁に気づき、壁を溶かすことができたのは
全的なゆるしであり、全的な自己愛でした。

世界に壁をつくっていたのは、自分を愛せない思いでした。
自分の幻も含め、それらを全部愛そうとしたとき、
世界の中の壁も消えていくし、過去生との壁も消えていくし、
真の自己との壁も消えていくようでした。

そうして神の世界と溶け合うのです。
そもそも神しか存在しない世界ではありますが、
人間の投影が引いていき、神のエッセンスをもつもので満たされていきます。

人間の世界と神の世界との二重性があります
真実と幻、実在と非実在の二重性があります
どちらを選ぶか、意志と選択がまずは大切です。
そこから、ひたすら悟りの道を歩き続けるしかありません
あらゆることをやり、あらゆることを捨て、
見えなき道を進み続けます