人間にとって不足は必要だが悟りの創造に不足は必要ない

0
713

悟りの引き寄せとは、思考で引き寄せるものではありません。
思考を鎮ませ、思考からのアトラクション(引き寄せ)を極力抑えます。
意図的創造ではなく、無意識創造ともいえます。

「思考」は人間サイドの特徴です。
人間サイドをできる限り無力化したいのです。
ですから、例えば目標を定めて、一生懸命手に入れるべく引き寄せる
というようなことはしないのです。

人間は、不足を感じ、願望を生じさせ、追い求め、行動化を通して体験します。
だから、不足が必要であり、不足はなくなりません
世界中に不足があり、不足が消えても新たな不足を生み出すのは、人間がそうしたいからです。

悟りとは、そうした人間ドラマ、人間闘争から退くことです。
人間世界に住みながら、どこか離れて生きることです。

不足を感じないので、欲が生まれず、大して行動しなくなり、
多くの聖者は自然の中に入っていきました。

こうした生き方はつまらなそうに見えます。
まぁ確かに。
しかし、不足を感じないということは、豊かにあるということです。
不足なしに豊かさを楽しむことができます。
新しい聖者は、最先端の人間世界にいて、悟りの状態にいながら楽しむことができます。

悟りの引き寄せは、アトラクションが使われないので、
狙って何かを引き寄せる代わりに、全方位から流れ込んできます
遠くへ探しに行かなくても、気がついたら目の前のテーブルにあるのです。

その境地に至るまでに、自己というものを消していきます。
自己のアスペクトは存在し続けているので、実際には消えていないのですが、
表舞台から退場し、楽屋に帰ります。
必要に応じて、舞台に登場しますが、出突っ張りではありません。
表舞台にいるのは、神なる自己であり、シンプルな「私」という意識です。

以前は、自己のアスペクトが頑張って舞台で演じていました。
様々なドラマを演じ、その中で成長し、喜怒哀楽を体験してきました。
今では、舞台が終わった劇場のようです。
そこに劇世界はありますが、もう観ている人も少なく、シンプルな意識が平和な余韻を生きています。

シンプルな意識は、その劇世界以外にも生きていて、それを自覚しています。
主人公となってドラマを演じる以外の楽しみを見つけています。
まぁ、そんな感じです。

不足をいつまでも持っていてはいけません。
真実の世界では不足はないのです。
人間ドラマのためには不足はなくてはならないものですが、
本質は愛と豊かさです。

それを自覚したなら、目の前に描く不足を消しましょう。
不足→願望→創造
というお決まりの人生経験パターンから
豊かさ→情熱→創造
というパターンに変えていきましょう。