今一度「思考」というものを問い直してみましょう。
思考はマインドのなかで起こっており、エゴというものを形成しているものです。
世界で名だたるスピリチュアル指導者エックハルト・トールは、自分のエゴの首根っこを捕らえ、自分という本質ではなく、ネガティブなものを創造している自分であって自分でないものだと気づきました。そこから、エゴから離れたといわれます。
ぼくの経験からすれば、何年も前に、ぼくもエゴの首根っこを捕らえましたが、捕らえたどころでこいつは消えてなくなるものではありませんでした。
エゴはエゴとして残っているのです。
そこからエゴを瓦解させ、消失させていくために、何年も何年も費やしました。
釈迦は、八正道でみられるように、エゴを教育することで、神のマインドに近づけました。
イェシュアは、神への愛を最優先し、その他を捨てることで、エゴに負けることはありませんでした。
ラムサは、剣で刺された傷の治療のため、岩から何年も動かないことで、力を手放し、あらゆる気づきを得ました。
マスターは、そうやって、エゴをどうにかしているのですが、
エゴの実体を捉えたところで、エゴは消えてなくなりませんし、
エゴは巧妙に変身したり隠れたりします。
教育によって、エゴを手懐け、エゴを弱体化させたと信じていても、
それは単にエゴが演じていた芝居のなかの話だったということも経験しました。
つまり、エゴが、マスターを演じているということです。
そうした、エゴの変身や、エゴの隠れ家も見透かせるようになり、
エゴの全てに光を当てて、見つめ直しました。
あるときは災難が降りかかることによって手放したりもしました。
そうして悟りの道は続いていきました。
なんにも消えてなくなった。
もうエゴに惑わされることはない。
と確信に至っていても、やはり消えているわけではない、このエゴ。
何度絶望的な気持ちになったことでしょうか。
あまりにも巨大なパワーと生命力で存在し続けているかのように見えます。
しかし、こいつは、過去のデータの集積に過ぎないのです。
最近、もっとエゴの動きと実体がわかるようになりました。
そして、とても単純に働いていることがわかりました。
わかっていたけれど、わかりきっていなかった事実です。
エゴの正体は、過去のデータであり、それは思考の粒子として
マインドの中に潜んでいます。
人間の機能として、思考はどうしても存在し、現実世界の起こることに対して、
すばやくデータを検索し、データを元に思考の粒子が活性化し、反応を作り出します。
無数の粒子のなかで、データに合致する部分が反応し、特定の感情を誘発します。
その上で、判断したり、行動化したりします。
おお、これは単なる人間のメカニズムに過ぎないではないか!
ただ目の前のことに、過去のデータから反応しているだけで、
それを自分自身だと信じている。
この愚かさ、虚しさがわかるでしょうか?
そうやって過去のデータから、また過去に似たものを波動として発し、引き寄せるのです。
そして、思考は焼き回しの人生を創造し、また反応し、また感情を誘発し、
自分というアイデンティティーを維持し、死んでいきます。
思考は日常生活を送る上で役に立ちますし、
ビジネスをやる上で役に立ちます。
しかし、同じような人生を焼き回している部分の反応をなんとかすべきです。
特に、惨めさや無力感、不足感という思考の反応は卒業すべきです。
それらは幻であり、死んでいて、必要ないものです。
思考は悪魔と呼ばれます。
悪魔はあなたのなかの領土を支配しています。
そのなかで神を思い出した部分が徐々に大きくなり、戦争を始めます。
ハルマゲドンとは、自己の中で起こることです。
こちらの動画も参考にしてください。
最近語ったものです。