☆マスターへの道52☆
「慈悲の心を持つ」
マスターへの道もラストスパートです。
前回は「寛容の精神を持つ」でした。
今回は「慈悲の心を持つ」
仏教の言葉ですね、慈悲は。
あわれみといつくしみ。
他者の苦しみを取り除き、癒やし、元気づけ、幸福を願う気持ちのことです。
本当に昔の教えの中には、珠玉の真実が散りばめられているものですね。
「ドン・カルロス」の中で、カルロスの親友ポーサが、
自分のために凶弾に倒れて、「慈悲はないのか!」
と叫ぶシーンがあります。
悲劇の中では、ギリシア悲劇の時代から、
「神」という概念が大きなテーマになりますが、
「ドン・カルロス」でも、神に見放されたような出来事が起こり、
登場人物たちは激しい葛藤に揺れます。
昔の人は(今も大半の人がそうですが)、
なぜ悲惨な出来事が起こり、
どうして神がなにもしてくれないのかわかりませんでした。
どうしてこんなにも悲惨なことを経験しなければならないのか。
それは、大震災のときにも思ったはずです。
神の慈悲は、
いつでも、どこでも、無限の量で注がれています。
ソースエナジーは常にわたしたちと繋がっており、
わたしたちの幸福を願っています。
しかし、わたしたちのほうが神から離れているのです。
そして、広大な視野で物事を見ることが出来ないので、
もっと広い意味で解釈できません。
わたしたちも神のように、慈悲なる心を常に持っていれば、
悲劇が実際に起こることも激減するでしょう。
結局人の因果で、悲劇は起こっているわけです。
「ドン・カルロス」の場合も、
嫉妬や不信などが悲劇を導いているわけです。
慈悲の心は、他者に対して注がれるものであり、
自分の中でひとり貯えて、外に見せないものではありません。
わたしたちは繋がり合っているので、
お互いに良い影響を与え合うマインドが求められます。
そのマインドこそ、慈悲の心です。
そして、慈悲は、結局のところ愛です。
慈悲は同情ではありません。
同情はネガティブへの同調です。
そうではなく、癒やすということは、
ポジティブな方向へと一緒に同調しようという気持ちです。
これを習慣とし、血肉としましょう。
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