☆マスターへの道51☆
「寛容の精神を持つ」
宗教的な指導者は、マスター(導き手)の役目を担っている
わけですが、大部分は排他的です。
自分こそ(自分たちこそ)、真実であり、唯一正しく、
神に愛されていると思っています。
場合によってはそう信じていなくても、
そう振る舞うことで人を騙し、
詐欺行為をしている集団もいるでしょう。
これは大きな勘違いです。
神という知識が、あまりに歪んで狂気じみた解釈になっています。
ですので、エイブラハムのように「ソースエナジー」など、
違う言葉で呼んだ方がより真実を理解できることでしょう。
信仰をよりどころにする人は多く、
それ自体間違ってはいませんが、
自分の信仰を正当化するために
他者を排斥するという行為を人間たちは何千年もやっているわけです。
今の日本を見ても、スピリチュアルな分野では色んな種類があります。
神道に根ざした教えもあれば、
天使やレイキ、引き寄せの法則など。
他者を排斥するという行為をお互いに行っているところは見かけませんが、
スピリチュアル嫌いな人からは不当な迫害を受けることはあります。
確かに、真実度の違いというのはあるのでしょうが、
不寛容の態度が、神に近づくことにならないのは
どんな宗教においてもいえることでしょう。
そして、他者の声に惑わされず、自分の心に問いかけ、
自分の心の声を信じるということが
信仰においてキーになるのも間違いないでしょう。
どんな分野にせよ、どんな教えを携えているにせよ、
人を騙さず、人を排斥せず、
寛容の精神をもって温かく地上の人たちを見るのが
マスターとして大事なことでしょう。
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