☆マスターへの道35☆
「誘惑に打ち勝つ」
キリストや釈迦を苛ませた悪魔こそ「誘惑」です。
誘惑というのは、欲を駆り立てる物質的な魅力だけでなく、
闇の誘惑もあります。
すなわち不安や恐怖です。
どんなに自信を持って、神を信じていても、
うまくいかないことが続いたりすると、
疑いや不安や動揺が生まれます。
神を信じられないということは、
悪魔を信じるということで、
信念が揺らぐということも、
確固たる闇の誘惑だといえるでしょう。
ですから、禁欲して、座禅や修行をいくら行っても、
完璧な安心に辿り着かないということは、
誘惑に負けているといえます。
自分の心の中の疑いや不安に負けているということです。
この広義の誘惑から手っ取り早く抜け出る方法は存在しません。
1000年でも2000年でもかかるかもしれません。
ただ、わたしたちは完璧な状態に辿り着くことを求められてはいません。
心がけ次第によって、誘惑が些少な気にならないレベルにまでなります。
気にならないレベルであれば、打ち勝ったといえます。
人によっては、我欲という誘惑に完全に取り憑かれていたり、
不安や恐怖という、完璧さを信じられない誘惑に圧倒されています。
程度の差あれ、8割くらいの人はそうかもしれません。
これでは、本来ある幸福の流れを呼び込むことも困難です。
物質的な誘惑に打ち勝つシークレットとなるのは、
「必要なものはなにもない」という教えでしょう。
必要なものがなく、全てが満たされていることを心から認識しているならば、
欲しがることはなくなります。
埋めようという空虚感がなくなります。
精神的な誘惑に打ち勝つシークレットとなるのは、
「人生は完璧である」という教えでしょう。
完璧であることを心から認識しているならば、
なにものにも揺らぐことはありません。
しかし、キリストの例をみても、完全なる実証が得られないと、
完璧さを求める祈りにとどまり、悪魔は離れないようです。
祈りが意味をなさないレベルになれば、
もう、そこは天国という場所であることでしょう。
完全に理解できなくてもいいのです。
もっと心の中で、必要なものはなにもないことと、
人生は完璧であることを受け入れましょう。
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