「楽しさ」

ぼくは引き寄せの法則もしかり、ビジネストレーニングでも楽しむようによく伝えています。
しかし、ぼく自身が本当の楽しさを知らないのではないか、経験していないのではないか、と思い始めました。

人生のあらゆることにジャッジメントせず、楽しもうと心がけながら6年以上経過しました。
けれど、「本当の意味で楽しんでないな」と思ったとき、
「では、本当の意味で楽しむとはなんだろう?」と考察が始まりました。

 

ぼくにとっての楽しさを感じるとき、というのは、
新しいことを経験するときです。
古いことばかり経験するのは退屈で仕方がありません。

しかし、退屈に思えるようなことでも楽しみなさい、といわれます。
それでこそ、新しい、より望むものがやってくると。

ところが、どう考えても、新しくないことを楽しむことがよくわかりません。
新しくないといえば、日常的なことです。
かつては、ジムに通ったり、カフェでパソコンをしたりが楽しいと思っていた時期もありました。
しかし、それらも退屈だと思うようになり、もっと刺激がほしい、もっと創造がしたいと思うようになりました。

仏教の長老が、瞑想の時「本当に瞑想が出来ていれば、呼吸を意識して退屈することなどない」といっていました。
ですから、単純な日常動作でも、楽しさを感じられるのでしょう。

 

雨の中、お昼を食べに出かける間に、楽しさを感じようとしてみました。

人間は、五感を通して、体験しているので、
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を通して、楽しさを誘発するものを体験しているに違いありません。

流れる水、葉っぱのユニークな形、行き交う人々……
車の音、雨の音……
わずかにしめった臭い……
昼食のハンバーグの味……
感じる寒さ、動かす足、水を運ぶ手……

色々と感じてみようとしましたが、いまいち楽しさはわいてきませんでした。

 

思考と感情は別物
楽しさは思考で楽しいと認知するものではなく、感情で感じているものだろう。
と思ったとき、エックハルト・トールの「思考の雑音を抑え、今に集中する」ということを思い出しました。

もしかしたら、思考の声がありすぎて、楽しさを感じ切れていないのかもしれないな、
とそう思いました。
子供も、動物も、思考があまりないから、楽しさに浸ることができています。

それ故に、物事に没頭することは楽しさに繋がるのだろう。

しかし、なにか特定の新しいことに集中している時ならまだしも、
日常的な単調な動作の過程で、思考を鎮め、今に集中するということはとても難しく感じました。

とりあえず、思考を抑え、五感を鋭く感じることはできます。
ですが、「楽しさ」という感覚はわからない。

 

人との交流のなかに楽しさはあるでしょうが、
人との交流以外で楽しさを感じられないというのはおかしい。

床屋で髪を切ってもらいましたが、ザクザクという感触や、
はらはら落ちる髪の感覚など、いつもより鋭敏に感じ取ってはいますが、
楽しさはない。人との交流はしているけれど楽しさはない。

本当の楽しさとはなんだろうか?

 

服を買うとき、楽しさを感じるのは、新しいものを手に入れて、新鮮な気持ちを感じているから。
やはり、新しくないと、ぼくは楽しいと感じられないのか?

であれば、常に新しいものを生み出していないと、楽しさを持続できないのか?
そんなはずはないだろう。

確かに、漫画を読むのは楽しい。
新しい話は特に楽しいが、しばらく経って再び読むのも、そこそこ楽しい。
しかし、何度も連続して繰り返し同じ話を読むなら、楽しいわけがない。

人間にとって、新鮮さや変化は確かに大事に違いない。

帰り道、ふと、本を買いたい衝動が起こりましたが、
それは本から学びたいというよりも、新しいなにかを手に入れて新鮮な気持ちを味わいたいだけでは?
という気になりました。だから、買っても読まない本がある。

 

う~む、引き寄せの法則を7年ほどやってきて、楽しさをずっと心がけてきて、
楽しさを再考察することになるとは。

でも、なにか答えは出そうな気がします……。

自分が楽しいと思ったことを更に思い返してみます。

なにか新しいセミナーとかをしているときは楽しいけれど、
それが終わって次回から、集客面などの結果やコンテンツとしての継続性を気にするようになると、
客数が落ちていたのも、楽しみが落ちてきたのと比例している。

教えているときや、即興演技で集中している時は楽しい。
毎回、少し違うということはあるけれど、
即興でやると楽しさを感じられる。

それは、今に集中していることもあるだろう。
けれど、そんな時間はすぐに終わる。
いつでも感じられるくらいでないと。

演劇は?

客が少なかったり、褒め言葉が少なかったりすると、虚しい気持ちになるもの。
楽しいときと、楽しくないときが両方ある。
条件や、ジャッジメントをそこに挟んではいけないとわかっているが、
客が少なくても、舞台の出来が良くなくても、楽しいと思えるだろうか?
感謝できるだろうか?

う~ん、それは出来ない気がする。

おそらく、暗闇の世界に1年閉じ込められてから、
この世界に出てきたら、なにもかも楽しく感じられそうだが、
そんな対極を経験しなければ、楽しさをつかめないのだろうか?

困ったものだ。
これまでずっと妥協的な楽しさに甘んじていた気がする。

おそらく、没頭や今に在ること、思考を使いすぎず五感を鋭敏に使って感じること、
新鮮な目で見ること、不平不満を入れないこと、
これらがキーになるのはわかるけれど、真の楽しさを感じるまで至れない。

好きなことをしているときは楽しいときだと、あなたはいうかもしれません。

しかし、ぼくは好きなことばかりしてきたのです。
厄介なのは、そこに結果を求める気持ちとか、飽きっぽさが浮上してくることです。

好きなことばかりしてきているけれど、
純粋にそれだけしていればいい、という気になることはありません。

やはり仕事にしているので、それで収入がある程度は入らなければ、とか
人を集めるためにマーケティングをしなきゃ、とかが出てきます。

それらを排除して、純粋にやっていることのみに没頭して楽しむ、
ということができるかなぁ?

でも、そこなんだと思うんですよね。

 

まぁ、こうなったら、楽しさにおいてもマスターになってやろうと思いますよ。
もっともっと楽しさ探しをしていきます。

究極の楽しさをつかむことができたら、また報告します。