だいぶ掴んできました。
本当の楽しさ」というものを。

たくさん考察してきましたが、答えが見えてきたという解放感から
余計な信念が融解し、それによって楽しさがにじみ出てきました。

既に、本当の楽しさ①や②で書いたことに対して、
「おれ、こんな信念持ってたんだなぁ」と、過去のことに思えるくらい、
波動が変わったと思います。

類い希なチャネリング能力を持つぼくのクライアントも、それを察したようです。
「先生は少し変わったようです。イキイキしだし、元気を取り戻しつつあります。そうではないですか?」
と。

自分の信念を洗いざらい正直に見直して、露わにさせたという解放感もあるんでしょうね。
でも、物事への見方が変わりましたよ。

 

メルマガで書いたんですけど、(あ、ごめんなさい、まだ発刊してなかった……)
フリードリッヒ・フォン・シラーの美学芸術論をクラスで取り上げることがあって、
本で読んで勉強したら、結構参考になりました。

今回の深い考察とも繋がっていて、作家として芸術家としてのステップアップにも繋がっています。

「美」についての理論ですけど、
「美」は、「自由」であり、そしておそらく「楽しさ」でもあるに違いません。

シラーは「自律」と「他律」という言葉を使って説明しているのですが、
他律(外的要因)の影響を受けながらも、そんな影響などまったく関わっていないと思わせるほど
自律(素材や物体、生物など)がありのままの輝きを放っているならそれは美しいといえるのです。

あまり理解してもらえなくて構いません。

要するに、私たちの人生に置きかえたとして、人生には様々な抵抗要因があります。
現実の影響は常に働いています。人や金銭の影響、環境の影響など。
それらが他律です。

それらに自分自身が負けていると、他律ばかりが大きく包んで、美とはいえません。
しかし、他律などないかのごとく、自分自身がありのままに輝いていれば、美です。

人生もまさにそうだと思いました。

確かに、ぼくは現状に対して不平不満を抱いていました。
その他律にげんなりし、意気消沈することで、自律が低下し、
ソースの力も最大限に生かせず、思うほどの引き寄せができなかったのです。

しかし、他律に負けずに自律を高く保ち、ありのままに輝くことを、
一連の「楽しさの考察」を通して、つかみかけてきたのです。

 

その極意を伝えたいところですが、どうにも簡単に説明できません。
こうしたプロセスを経て、抵抗が少しずつ融解し、自然にそうなってきたというのが適切かもしれません。

ぼくのクライアントが「こんなイメージが見えました」と送ってくれたものを載せます。

 

私は先生に「お手紙が来ています。」と言います。
すると、先生は「ほう、お手紙が。何でしょうねえ。」
と言っておもむろにお手紙を一つ取り、開きます。
先生が手紙を覗きこむと、白い鳥が飛んできて先生の肩にとまり一緒に見ています。
「この間寸劇?を披露した団体から、今度は講演の依頼ですね。」
そういうと手帳を取り出し予定を調べます。
企業のセミナー、学校の演劇の授業、本の執筆、脚本の依頼などでびっしりです。
私は、「先生、この間のコメディの続編をお願いする声も届いています。」と言うと、
「そうですか。期限はいつとは決められませんが、みなさんの期待に応えないといけませんね。」
と言って、遠くの木を見つめます。
とても忙しい毎日にもかかわらず、先生の心は穏やかな海のように落ち着いています。
青く、深く、波音一つたたず、太陽の光を反射して、きらきら輝いています。

 

とても素晴らしいですね。嬉しいイメージです。
その方は、白い鳥は心の平穏を現しているのでは?と、いっていましたが、
ぼくの会社やスタジオ、スクールは、全部「羽」や「翼」が入っていますし、
ぼくが最も理想的な心の状態のときは、翼が生えているようなイメージなので、
おそらくそういうことでしょう。

手紙は、実現化されずに波動の預託口座にたまっている願望でしょう。
それがたくさん手元に届くというイメージなんでしょう。

そうなればいいですね!
とりあえず、結果には期待しませんが、ホッとしました。