さて、Shinjiが疑問や問題が生じたときに、解答を見つけていく様を紹介しつつ、
「楽しさの考察」について述べています。

 

前回、楽しさとは、新鮮さや変化、没頭、感謝、五感にあるなぁという話をしましたが、
行動にもあると思います。

人間は、心と体が繋がっています。
心の動きが身体に表れ、
身体からは心の動きが見えます。

ガッツポーズをしながら、悲しむのは困難です。
うつむいてトボトボ歩きながら喜ぶのは困難です。

こうしたことは、演技のレッスンでもぼくは教えているのですが、
身体的なポーズから、楽しみが沸いてこないかという実験もしてみました。

ガッツポーズをしたり、しばらく笑顔だけで動いてみたり。
でも、たいして効果はなかったです。

心と体の繋がりは自然でなくてはいけませんね。

でも、いくらかは効果があると思いますよ。
アンソニー・ロビンズもそういった理由から、身体ポーズをやらせますしね。

 

それから、やっぱりソースとの調和、本当の自分との調和が、
一番永続的に、安定して楽しさを引き出せるのだろうと思います。

そんなこといったら、結局「全てができないと楽しめないのか」
と思うかもしれませんが。

本当の自分で、退屈や不平不満があるはずはないので、
そこに調和すれば、常にポジティブでいられるはずです。

けれど、本当の自分と調和するのが、簡単なことではないので、そこが難点です。

 

ありのままの自分を遺憾なく発揮するなら、それは楽しいに違いありません。
ぼくの場合は、ありのままの自分を発揮できていないと、今振り返って思います。

いくら好きなことをしていても、自分の理想からかけ離れていたら楽しいと感じられるはずがありません。

そこで、ぼくは、自分の「好きなこと」と「楽しみ」の関係性を考えてみることにしました。

●戯曲など作品を執筆するときの楽しみ
……う~ん、世界が構築され、それが誕生し、また具現化するのは楽しい。
●ブログや書籍などを執筆するときの楽しみ
……う~ん、結構マーケティングのためというのが割合高い気がする。反響があると嬉しいが、執筆時はそうでもない。
●教えることについての楽しみ
……たいてい没頭しているので楽しい。けれど、欠席や遅刻が多いと、げんなりしエネルギーが低下しがちか。
●舞台を創ることの楽しみ
……演劇を好きと思ってやっていてはいけないと思うところがあり(プロフェッショナルな仕事をする場というか)、
創造過程に楽しみはたくさんあるが、そこを目的とはしていない。
●スタジオ運営の楽しみ
……特にない。収入のためになりがちだ。昔は、様々な人が利用するので、興味深く感じていた。
●毎日の生活の楽しみ
……自由さを満喫している、が、特に楽しくて、毎日こうしていたいというのはない。
●引き寄せの法則関連
……もっと多くの人と交流したいが、少数の引き寄せ歴が長い人が多く、軽い感じで盛り上がることはない。日々、楽しさを感じているわけではなく、カウンセリングなども依頼があったら受けるという感じ。

 

こうやって分析してみると、
う~ん、楽しみを感じていないところからたくさん損をしている気がします。
意外に楽しんでいるようで楽しんでいないんだなと思いました。

自由に好きなことをしていいって環境だけど、
退屈に繋がってしまうのは、こういった理由からなんだなぁと思いました。

抵抗を感じている自覚もないけど、高い波動になっていないのはわかります。

楽しむことを主眼に生きてきたものの、やっぱり現状への不平不満を無自覚に意識しているのか。
もっと思い切り楽しむというスタンスを持つべきだなと思いました。

こうやって自分の信念と向き合うことで、
なにか融解してきた気がします。

もう少しで、つかめそうです。