ちょっと前の話になりますが、野々村竜太郎議員の号泣会見が世界中で取り上げられ、失笑や爆笑を誘いました。

「涙が共感されなかった」という涙活の専門家の指摘もあります。

まぁ、それはそうなんですけど、ぼくはちょっと違う見方をしていまして。
大の大人で議員という立場の男が号泣して言い訳している姿に
皆さんは、失笑・爆笑・非共感に繋がったのだと思いますが、
そのとき、皆さんは、「大人は泣かないものだ」「議員はしっかりしているものだ」
「号泣して謝罪なんて、中学生だってしない」などと思ったかもしれません。

それは、大人はかくあるべきだという認識を皆さんが共有しているからでしょう。

社会性の衣をみんな着ているんだなぁと思いました。

ぼくも実は、すごく笑ったんですけど、それは、謝罪会見という公の場で、
こんなにも感情をさらけ出して、恥も外聞も気にしなかったところに、なんだかすがすがしさを感じたんです。

まぁ、天然系の人なんだと思いましたが、
天然系の人は、社会性の衣が薄いので、自分をさらけ出すのが得意です。
得意というか、図らずもそうしてしまうので、本人は悩んだりするくらいです。

生まれ持って、そういう特質を選んで世の中に出てきているので、
悩むべきことではありません。

 

わたしたちは、歳を取るにつれ、大人らしくなることを求められ、
ある一定の年齢になると、大人らしさは当然のことだとハードルをあげられます。

でも、ぼくなんかはもっと無邪気でいいんじゃないかと思います。

他人のつくりあげる規範に合わせる必要はありませんよ。
自分らしさを追い求めるべきです。